
【第6話】
『銚子の夜明け』
(2004/3/9)
| 去年の9月初めのことだ。外房線の車中で気になる中吊りを見つけた。高層ビル群の背景に赤い火柱が立ち、外人の男女が向かい合っている。その上にでかいゴシック体で『我々にはMISSIONがある』、『21世紀の全人類を救う』と大仰な広告だ。これは誰が見ても、「製作ジェリー・ブラッカイマー・監督マイケル・ベイ・興行収入全米bP」の映画と思うだろう。もし映画だったら、近日ロードショーだろうがDVD発売だろうがちっとも気にならないのだが、これが大学の募集広告だから驚いた。 「学校法人加計学園 千葉理科大学 04年4月開学予定」「千葉県銚子市潮見町3番地」「全国初・危機管理学部」「防災システム学科・環境システム学科・危機管理システム学科」「救急救命士・臨床検査技術士・臨床工学技師」「プログラム講演・坂本尚史(危機管理学部教授就任予定、現・岡山理科大学教授)《危機管理(リスク マネジメント)って何だろう?》9月10日(水)17:00〜銚子商工会議所」云々。 何が気になったかといえば「04年4月開学予定」という点だ。もう9月だというのに「予定」とは。ただでさえ少子化と不況で受験生が減っているのに、受験まで半年を切って「開学予定」って呑気すぎないか。 これは何かのネタになると直感した僕はインターネットで「千葉理科大学」を検索してみた。千葉理科大学のWebサイトは既に立ち上がっているがここにもやはり「4月開学予定」の文字。ところが、銚子市のHPやら個人のHPを巡っているうちに事情が見えてきた。学校法人加計学園は千葉理科大学を認可申請しているが、まだ文部科学省の認可が下りていないってこと。さらに銚子市で起こっている大学反対運動。海沿いに建設されるキャンパスによる環境破壊への懸念や、市の予算の投入・市有地の無償提供などが反発を招いているらしい。 僕はネットで千葉理科大学の資料送付を申し込みつつ、「千葉リカ」って名前の女性を探してみた。千葉リカ大学に賛成か反対か、当の千葉リカさんに聞いてみたいじゃないですか。結局、あまり有名な人はいなくて、仙台在住のダンサー・千葉里佳さんくらいしか見つからなかったんだけど、後でそれはどうでもいいことになった。大学の名前が「千葉科学大学」に変更されたのだ。11月吉日、クロネコメール便で資料と入学願書が送られてきた。「このたび正式に認可となり、明年4月に開学する運びとなりましたのでお知らせいたします」。ついに認可が下りた。推薦入試の試験日まで1ヶ月を切っていた。 その後、千葉科学大学に関する新しい情報が得られないままだったが、2004年2月の東京新聞にこんな記事が出た。「『千葉科学大』で波立つ銚子」。この記事で大学反対運動の詳細がわかったのだが、大学誘致を公約に掲げた現市長が就任したのが02年の8月。そこから2年足らずで開学というスピードにまず驚く。自治官僚出身で岡山の副知事経験がある市長には、岡山理科大学を擁する加計学園と深いつながりがあった、とは言えだ。90億円の市費投入は市民から反対され、水産加工団地内のキャンパス・施設建設は地元企業の反発を呼んだ。銚子市を中心とした市町合併計画もあったが、大学建設費負担のせいで他の自治体から総スカン。しかし、なんたって全国初の危機管理学部である。「我々にはMISSIONがある」のである。どれだけ波が高くても逆風が吹こうとも、そんな「危機」は乗り越えられると踏んでいるに違いない。学生が集まって大学が軌道に乗れば、若者の首都圏流出に歯止めがかかり、地域経済が活性化され、「文教のまち銚子市」に生まれ変わると。 それも学生が集まれば、の話である。1月末、札幌から那覇まで全国13会場で行われた前期の一般入試の倍率は、薬学部が100名の募集に対して21倍、危機管理学部が69名募集の3.9倍とまずまずの数字だったらしい(東京新聞)。ところが2月の末、毎日新聞のWebでこんなニュースを見つけた。『仙台育英高が進学先の決まっている生徒を、四月に開学する提携先の千葉科学大学の一般入試に受験料を肩代わりし、大量受験させていた』。ここで「仙台育英」という新キャラ登場である。陸上部にはアフリカから、ラグビー部にはニュージーランドからの助っ人(留学生)がいて、いずれも全国屈指の強豪というあの仙台育英が、千葉科学大学の「助っ人」だったとは。学校法人加計学園の理事長は、「全国初の危機管理学部に多数の生徒を受験させたと聞いて、ありがたく思っていたところ。しかし高校側が受験料を肩代わりしていたのは知らなかった」と驚き、銚子市長は「業務提携のことは知らなかった。受験者数は本質的に意味のある数字ではない。イメージダウンの影響もないだろう」と話した。43人の仙台育英生のうち合格者はいなかったという。 こんなすったもんだの末、千葉科学大学に入学する奇特な若者もいるわけだが、ある意味、危機管理能力を試すのにこんなうってつけの条件は滅多にない。交通の便も悪く、学生向けのアパートもアルバイトもなかった町。その上、大学反対の看板が立ち並ぶ。しかし、若者は確実に街を変えていく。まるで、赤ん坊が結婚に反対した親の心を溶かしていくように。だって「我々にはMISSIONがある」のである。銚子の人々を救わなくて、世界の人々を救えるわけがない。 僕は妄想する。青雲の志を持って千葉科学大学にやってきた学生が、犬吠崎灯台の下、海風に向かい凛として立つ姿を。「風が強いぜよ」。なぜか土佐弁だ。そう、銚子の夜明けは近い。富士山頂と離島を除けば日本一夜明けが近いのだ。 |