放送作家・近澤浩和さんとは文化放送の仕事で知り合いました。出来たら活字の世界にひっぱり込みたい才能です。当連載はテレビ、ラジオが主戦場の近澤さんにとって初めてのパーソナルな連載になります(榎)。




今までの蘇我拾遺物語はこちらです!


【第16話】
『53年ぶり』
(2007/11/3)


 日本シリーズは中日が53年ぶりの日本一。セ・リーグ2位だったチームの日本一ということで、再びクライマックス・シリーズ(CS)の是非が問われている。反対派の言い分は、「シーズン優勝の価値が下がる」「144試合戦って1位になっても日本シリーズに出られなければ意味がない」といったところだ。

 僕も同じ事を思っていた。CSにではない。日本シリーズに対してだ。

 ドラゴンズファンだった頃の話だ。小さい頃、父に連れられて何度か後楽園に野球を観に行った。「巨人の星」の時代である。プロレスで馬場や猪木を応援するのと同じように、野球ってのは巨人が悪者をやっつけるのを見るものだと思っていた僕は無邪気に巨人を応援していた。ところが、いつもカードは「巨人対中日」。なぜ伝統の一戦「巨人対阪神」じゃないのか?という疑問に母が答えた。「お父さんは中日が好きなのよ」。僕はショックを受けた。「とうちゃん、すまない。オレってやつは・・・」以来、改心してドラゴンズファンになった。74年、ウォーリー与那嶺監督の下、ドラゴンズは巨人のV10を阻止。20年ぶりのリーグ優勝を果たす。しかし、日本シリーズは金やんロッテの前に2勝4敗で敗れた。僕は谷沢健一が好きだった。76年、最終戦で張本を1毛の差で抜いた初めての首位打者は忘れられない。アキレス腱を痛めて1シーズン半を棒に振り、背番号を14から41に変えて奇跡の復活を遂げた80年の二度目の首位打者も感動した。近藤貞雄監督時代の82年、9回に江川を打ち崩して4点差を追いつき、延長10回、大島康徳のサヨナラヒットでサヨナラ勝ちした試合は、マンションの下の階から苦情が来るほど暴れた。その年、8年ぶりのリーグ優勝。ところが日本シリーズは黄金時代の幕開けとなる広岡西武に2勝4敗。

 谷沢がユニフォームを脱いだ翌87年、星野仙一が監督に就任。ルーキー近藤真一の初登板・初先発・ノーヒットノーラン。しかも巨人が相手。あんなに気持ちよかったことはない。88年10月19日。いわゆる「10・19」のあの日である。僕は西武新宿駅の職安通りのガード下でラジオを聴いていた。すでにドラゴンズは6年ぶりのリーグ優勝を決めていた。相手は西武か近鉄か。西武が優勝した場合、20日から日本シリーズのチケットが発売される。西武新宿のプレイガイド入り口から行列を作るライオンズファンに混じって、僕らのようなドラゴンズファンもいた。やがて近鉄ファンの悲鳴ともに、僕らの徹夜が決定。阪急の身売りを隣の人が買ってきたスポーツ新聞で見たのは、冷たい晩秋の夜が明けた朝ではなかったか。そこまでして手に入れたチケットで見たのは、シリーズ第5戦。頼みの綱の郭源治が9回に石毛に同点ソロを打たれ、11回に伊東にサヨナラヒットを浴びた。

 「シーズン優勝の価値が下がる」「130試合戦っても日本シリーズに負ければ意味がない」と確信したのはその頃である。わがドラゴンズがどんなに熱い夏をすごそうと、充実の秋を迎えようと、最後は惨めな11月がやってくる。自暴自棄になった。あてもなく盛り場をうろつき、肩がふれたチンピラと殴り合い、行きずりの女と寝たくなる。99年、第二次星野政権でダントツの優勝。日本シリーズの相手は、初優勝のダイエー。下馬評は中日有利。それでも負けた。1勝4敗。野手ではMVP級の働きをした関川浩一が完全に抑え込まれた。

 2000年、ついに別れのときがやってきた。僕にはドラゴンズよりも好きなチームができた。パ・リーグの日本ハム・ファイターズだ。文化放送の番組で取材をしたり、選手に会ううちに情が移ったわけだ。それまでの僕はいつでも東海ラジオを聴いていた。1332KHzにプリセットされたカーラジオが僕とドラゴンズをつないでいた。神宮と横浜に来るときだけドラゴンズに会うことができた。(巨人戦はチケットがなかなか買えないので行かない)ところがファイターズはいつでも東京ドームで会えるのである。恋人よ、君を忘れて変わってく僕を許して。毎日愉快に暮らす街角、僕は、僕は帰れない。

2004年、ファイターズも札幌に行ってしまった。それでも関東にやってくるファイターズを応援に行った。2位―3位プレーオフは3日連続で所沢へ行ったが、ライオンズに敗れた。そのライオンズと日本シリーズで対戦したのが落合ドラゴンズである。もはやドラゴンズファンを名乗るつもりもないが、心の中で祈っていた。僕がファンだった頃、一度もなかった「日本一に王手」もかけた。それでも負けた。また西武に負けた。

こうして積み重なったのが「リーグ優勝なんていらない。日本一がほしい」という矛盾した思いだ。それが2007年、CSのおかげで現実のものになった。CSはドラゴンズのためにあったような制度だったかもしれない。一年目にして役目を終えたといってもいい。

僕はといえば、またしても惨めな11月を迎えてしまった。自暴自棄である。もう僕の体を切ってもドラゴンズブルーの血は一滴も流れていない。腹の回りは「ハム」だ。日本シリーズなんて、クライマックスシリーズなんてなければいいのに。

おめでとう。弟のナガヒサ、文化放送の宮野さん、NACK5の山本さん、いくみちゃん、ケンローさん、倉敷保雄さん。ドラゴンズファンのみんな、本当におめでとう。


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