蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)

2003年05月分
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第5週

2003/5/25(日)
 原稿書きの一日。Redcapsの天城ドーム開催は欠席。チケットぴあのサイトを見たら6月4日の「浦和×フェイエノールト」がまだ買えたので1枚おさえる。



2003/5/26(月)
 夕方、BS朝日の中継で「西武×日本ハム戦」を見ていたら、Fs打線が又々、大爆発。「4試合連続2ケタ得点」のプロ野球タイ記録を樹立。H戦3連敗でもう今シーズンは沈んでいくのかと思ったら、わかんないもんだねV字回復ですよ。

 そのBS朝日の中継で面白かったのは解説者の栗山英樹氏。「試合時間短縮を理由に昨年、ストライクゾーンが見直され、それが今年、元に戻ってる」みたいな話を受けて凄いコメントをしたのだ。

 「僕はストライクゾーンは市場が決めるものだと思ってますから」

 実況アナがちょっと黙っちゃって、しばらく後に「市場っていうのはマーケットのことですか?」「そうです」。で、その話は終わり。いや、この唐突な市場決定論は笑ったなぁ。栗山さん、中途半端に頭いいから。普通のプロ野球解説者は市場決定論自体、耳にしたことがないと思う。だけど、その場合の市場って何よ? 観客数だとしてガラガラの西武ドーム球場はストライクゾーンを広くしろって言ってんのか狭くしろって言ってんのか、高くしろって言ってんのか外をとれって言ってんのか? その辺のアナリストは誰がやってんの?

 21時半入り、TBSラジオ『アクセス』出演。「ファミレス敬語」「コンビニ敬語」をとり上げる。相方が長野智子さんに変わって、決まったレールで進行しなくて良くなった。僕は今日みたいな臨機応変の生番組の方が好き。生電話をつないだリスナーがなかなか秀逸で、80年代、リクルート社が製作したすかいらーく用のマニュアルビデオがどうも事柄の発端らしいことがわかる。電話の主はそのすかいらーく用オリジナル版を元に、別のファミレスやコンビニ用の研修ビデオを作っていたスタッフだった。

 その研修ビデオは現在も出回っており、コーチングをする「トレーナー」も実在する。僕が興味を持ったのはすかいらーく用の1号ビデオを作ったとき、おそらく「ファミレス敬語審議会」的な会議が行われた筈だが、そこでどういうやりとりが行われ、「ファミレス敬語」の方向が出来ていったかであった。

 「千円からお預かりします」

 の「○○円から」は消費税導入の外税の関係で、端数の例えば5円をくっつけて会計するのか(つまり、千円札と1円玉5枚)、千円だけなのかを確認するところから発生したという証言が多数寄せられた。

 「以上でご注文はよろしかったでしょうか?」
 
 の「よろしかった」(過去形)の謎は、北海道方言説が笑った。北海道では「お晩です」を「お晩でした」としたり、あと電話かけて開口一番「もしもし、榎戸でした」と過去形にする習慣があるらしい。確かに「ファミレス敬語」「コンビニ敬語」には田舎言葉のていねい語みたいなニュアンスがあって、最初のうちはああ、この人、地方から出てきたんだなと錯覚していた気がする。オーダーの確認をていねいにしようという意図で、敬語が田舎言葉っぽく変化したのは本当に面白い。

 過去形の話では以前、新宿末広亭で桂文治が「戦後、店員が『ありがとうございました』と言うようになった」という話をマクラでしていたことがある。「あーしたぁ」と語尾を上げる感じにみんななっちゃって、というようなことだった。東京弁では「ありがとうございます」が本来らしい。プロ野球の優勝監督インタビューのようなとき、アナウンサーが「優勝、おめでとうございました」と過去形でやったりするのは、僕は今でも違和感がある。

 番組中に紹介できなかったけど、寄せられたメールで「過去形はていねいなんですよ、英語でCould you 〜?って言うでしょう」というのがあって、これも面白いと思った。いや、実はすかいらーくは日本のファミリーレストランのはしりで、アメリカからそのビジネススタイルを移植するに当たって、当初「サバーブ(郊外)レストラン」というコンセプトにして、それを「ファミリーレストラン」に日本化していったいきさつがある。店員の応対マニュアルも当初、アメリカの文例を必ず参考にしていた筈で、案外、Could you 〜?みたいなものの直訳が発端だった可能性も捨てきれない。一体、リクルートの会議室で何があったのか?



2003/5/27(火)
 18時、西武ドーム球場、西武×日本ハム。知人ルートでチケットをもらったので、2ケタ得点の新記録がかかったゲームを見に行く。序盤、ポンポンと若手の潮崎から3点とったので、おりょと思ったが、L・2番手の帆足がFs打線の勢いを止めた。試合後半は1点の攻防が非常に見応えあった。9回裏は1死ランナー3塁で高木浩之、浅いレフトフライ。レフトには途中出場のGグラブ賞外野手、井出。強引にタッチアップから本塁をつく平尾を見事、封殺ゲームセット。やっぱ野球はクロスゲームの方が面白い。3対2、Fs5連勝!



2003/5/28(水)
 原稿書きの一日。NHKニュース9を見たら、SARS対策で中国では料理をあらかじめ取り分けたりするよう衛生意識の指導が始まったらしい。僕は最近思うんだけど、SARSで中国は小さくなった。「途方もない広大な国土に途方もない人口が暮らす」イメージから、たぶんSARSを機に情報管理された国に変貌しつつある。経済力発展に続く動きとして見ると面白い。



2003/5/29(木)
 未明、WOWOWにてチャンピオンズ・リーグ決勝。何かそんな予感してたんだけど、延長戦でも両軍譲らず、PK戦になった。死闘という言葉が浮かぶ。ミラン優勝。TBSは又、延長の後半以降、中継を打ち切った。来季はスカパーが放映権を獲得した関係で、地上波はフジになるんだけど、これを他山の石としてもらいたいなぁ。『サッカーマガジン』にも書いたけど、ホントに朝のニュースワイドを編成上、動かせないなら、翌日、録画中継だっていいじゃないか。驚いたのは試合終了後、当のTBS『ウォッチ!』のスポーツコーナーで結果を報じる際、スポーツキャスターの水内猛氏と土井敏之アナが「つまんない試合でしたね」「イタリアはねぇ」とかコメントしてんだよ。そんな馬鹿な話はないだろう。

 11時半、神田三崎町、『MOTO-NAVI』編集部集合。『MOTO-NAVI』誌の人気企画「フメンライダー」に参加。今回の主旨は僕がチョイノリに乗って、「フメンライダー」隊の佐藤健、竹井あきらを「東京下町ベースボールツアー」へ案内するというもの。コースは東京ドームをふり出しに、玉澤スポーツ(台東区上野。かつて淡口、高橋直樹ら有名選手が使っていた野球メーカー)、野間マーク(台東区入谷。ジャイアンツ、ファイターズのユニホームの刺繍を担当。)、墨田区少年野球場(墨田区堤通り。戦後初めて出来た少年野球場、王貞治少年がここで育った)、荒川総合スポーツセンター(南千住。東京ロッテオリオンズの本拠地、東京スタジアム跡地。アルトマン、ロペスの頃は日本シリーズも開催された)、ベルガード足立工場(足立区入谷。プロも含めて日本のほとんどのキャッチャーギアを製作)。時間に余裕があればナガセケンコーも案内したかった。まぁ、だけど相当濃い野球エッセンスの小旅行だったと思う。


左:チョイノリにまたがる えのきど 
右:ベルガード足立工場にてポーズ



2003/5/30(金)
 19時、外苑前、青山金華飯店、『わらしべ偉人伝』打ち上げ。ゲッツ板谷さんの出版パーティー。板谷さんの取材を受けた「偉人」が一同に会す。僕は日光アイスバックスの春名真仁、村井忠寛両選手と会場入り。出席者は西原理恵子、天久聖一、ピエール瀧、中原昌也、大沢在昌、高信太郎、石山勝巳、やべきょうすけ、神田ひまわりといった各氏。会場でピエール瀧さんにBucksの始球式をやってもらう話が飛びだす。瀧さん大乗り気なのでBucksのフロントは是非、話をまとめてもらいたいなぁ。途中で失礼して近所のバーで春名君、村井君と話し込む。



2003/5/31(土)
 台風崩れの温帯低気圧で大雨。大宮サッカー場へ行く予定だったけど、根性が出なかった。夜、フジテレビで日韓戦。中身のない完敗。ジーコ・ジャパンが自由度尊重というのはわかるけど、どうなんだろう、こういつまでも昨日集めたオールスターみたいにやらせとくのは。



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