蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)

2003年03月分
第1週 3/1
第2週 3/2 3/3 3/4 3/5 3/6 3/7 3/8


2003年2月 第5週分はこちら!



第1週

2003/3/1(土)
 12時、自宅マンション前で電通・山本敏博さん、東明有美さん、セルジオ越後さんと待ち合わせ。セルジオさんには僕のクルマに移っていただいてクルマ2台で日光を目指す。1泊2日のアイスホッケー観戦ツアーである。いや、これの何が凄いってセルジオさんの発案なのだった。1ヶ月以上前に山本さんのとこにいきなり電話があって「日程調べたら3月1、2が最終戦の連戦なのよ。ヤマモト、みんなで行こうよ」である。そんなこといっても3月1日はゼロックス・スーパーカップだ。山本さんもさすがに「大丈夫なんですか」と尋ねたらしい。「ダイジョーブよ、行こうよ」、セルジオさんは本当にBucksのことを大好きになってくれている。

 で、僕らが計画したのはどうせセルジオさんが霧降アリーナに行くんだったら始球式をお願いできないかということだった。Bucks側に打診したら一も二もなく大歓迎、セルジオさんも快諾である。但し、これはきちんと書いときたいことだけど、Bucks側が申し出てくれた「招待席を御用意させて下さい」という話は丁重にお断りした。去年見に行ったときもセルジオさんはチケットを買っている。一般の観客として楽しみに行くわけだし、Bucksお金ないし。

 我々は普段通り、自由席である。ただ最終連戦のホームゲームは例年、とてつもない大入りで自由席の確保は容易ではない。山本さんのクルマは一足先に霧降アリーナへ急行して、開門前の列に並ぶ手筈となった。僕はセルジオさんを乗せて、東武日光駅前の日本そば屋「山六」へまっしぐらである。「山六」は鳥そばが天下一品なんだけど、もうひとつ店内のテレビがハイビジョン対応のワイド画面だ。明日の日刊スポーツの為にも、セルジオさんにはせめていいモニターでゼロックス・スーパーカップを見ていただかねばなるまい。

 16時フェイスオフ、日光霧降アイスアリーナ、日光アイスバックス×西武鉄道。始球式のスピーチでセルジオさんの「ボクは今日、本当は国立競技場へ行ってなきゃならないんだけど、日光最後の連戦なのでこっちに来ました」がバカ受け。ブラジルのいかれぽんち大将を迎えてアリーナのムードは最高である。又、Bucksは試合開始から抜群の攻撃でファンをもてなした。もう開幕時と同じチームとは思えない。素晴らしいフォア・チェック。次々に後ろの人間が飛び込んでくるフォーメーションプレー。マーク・マホン監督は当たりだった。最後列から組み立てて崩しにかかるなんて、ちょっと目を疑うよ。1ピリの猛攻で点がとれてたら試合はうちがいただきだったろう。

 試合のアヤとしては1ピリ前半を西武のDF、GKが耐え抜いた(特に#70芋生ダスティ大当たり)が全て。後半、カウンターから巻き返され、2ピリには戦術を修正されてしまった。終わってみれば2対5の大敗ではあるけれど、点差ほど内容は悪くなかった。これでプレーオフ出場の可能性は消えたが、マホン監督は正しい方向にチームを導いている。肩の脱臼をおして強行出場の村井忠寛は、左太腿の打撲で途中退場。

 試合が終わって大雨の降るなか、温泉旅館へ引き上げたら、今回のツアーのもうひとりの参加者がロビーへ到着していた。水原三星(スーウォン・サムソン。韓国Kリーグを代表する強豪チーム)テクニカル・コーチのユン・テジョさんだ。テジョさんは水原三星のヨーロッパ遠征を終え、その足で北京で商談を済ませ、ソウル経由で昨日、帰国したばかり。『WCJ』の頃、控え室でよくBucksの話を聞いてもらってたんだけど、今回は是非見たいと言ってくれた。ひとつには来季から始まる日韓インターリーグに関心があるらしい。しばらくしたら腕を吊って足をひきずった村井選手が顔を見せに来てくれた。左太腿は筋挫傷の疑いがある由。さっそくヴェルディ等でフィジカル・コーチの経験があるテジョさんが状態を聞く。セルジオさんはドクターを紹介しようと申し出る。




第2週

2003/3/2(日)
 14時フェースオフ、日光霧降アリーナ、日光アイスバックス×西武鉄道。本拠地最終戦は快晴に恵まれた。昨夜から台風かと思うような強風が吹き荒れるが、これも山が春を迎えるヒトコマだろう。朝から山の景色を見上げてセルジオさんは御機嫌だ。昼過ぎアリーナへ到着すると、もう開門前の行列がウズ巻き状に広場を取り囲んでいる。これは動員記録が生まれるんじゃないか。ホントにアリーナの座席数がもっとあれば入場料だけで経営が改善されるんだけどなあ。

 アリーナへ入るとBucksの関係者もお客さんも、セルジオ越後が今日も来たことに驚いていた。「昨日、ボク、スピーチでそう言ったのにね」とセルジオさん大笑い。皆、オレンジの紙テープを準備して、終了後のセレモニーに備えている。試合前の練習で村井選手が氷に乗ってないことに気づく。いや、そもそも昨日出場できたのが不思議なくらいなのだ。私服でベンチサイドに控えた村井君の姿を見て、残念そうだなあと胸がつまる。

 試合は西武の徹底したチェックで幕を開けた。昨日の1ピリの反省から相当ネジを巻いてきたと見る。西武は今日、勝ち点1以上でリーグ戦の首位を確保する。コクドとの合併が噂されるなか、何としても存続へのアピールがしたいだろう。1ピリ、4:43、石岡元(西武#18)に先制点を奪われ、Bucksも5対3のパワープレーを得て反撃に出るが、得点するまでに至らない。

 第2ピリオドはBucksの完全制圧だった。シュート数、実に13対3。こういうことが出来るからうちも地力がついてきたと感心する。7:24、左サイドからのパスに飛び込んで三田亮太(#15)が同点弾、直後の7:44、マーク・コフマン(#93)が敵DFの股を抜くミドルシュートで逆転。特に2点目はちょっと日本リーグで滅多に見れない水準のビューティフルゴールだった。霧降アリーナは誇張ではなく「爆発」したような騒ぎ。セルジオさんはと見ると、それまでテジョさんにつきっきりで「ゲーム解説」していたが、立ち上がって両手でガッツポーズしている。

 第3ピリオドは両軍死力を尽くした激闘。GK春名(#93)が抜群の安定感を見せ、逃げ切りが見えていた。ところが、5分過ぎ、ペナルティが重なり、1ピリとは逆に3対5のキルプレーを食らう。春名もこれは防ぎきれず、6:09、横山(西武#47)のゴールで同点。そのまま3ピリが終わり、5分間の延長戦も試合が動かず、最終戦はペナルティショット戦へもつれ込んだ。

 超満員のスタンドはW杯、「日本×ベルギー」戦、埼玉スタジアムみたいな状態である。Bucks1番手の藤澤×、西武・小林×。2番手、三輪×、クリス・ブライト×。Bucksの頼みはPS戦における春名の神がかった強さだ。クリス・ブライトとの戦いは圧巻だった。いいGKは本当に動かない。3番手、マーク・コフマン○、樺山×。コフマン、敵GKの股を抜くゴールで先行。4番手、伊勢×、上野×。5番手、高橋朋成○。キャプテン朋成の浮かせたパックがゴールに入った瞬間、スタンドの四方から紙テープが投げ込まれた。優勝したみたいな騒ぎ。どっちが首位なのかさっぱりわからない。

 試合後のセレモニーの後、バックスタンド奥に「来季も戦おうぜ西武」という横断幕が掲げられ、エールの交換が行われる。ホッケーファンは皆、日本側6チーム参加で日韓インターリーグがスタートするのを望んでいる。場内アナウンスまで「来シーズンも霧降アリーナで戦えることを祈っています」と放送され、素晴らしいことだと思った。

 我々は興奮冷めやらぬまま翠園へ移動、しばらくして春名君、村井君、それから高橋朋成キャプテンが駆けつけてくれる。3人のBucks戦士はサッカー界の大御所を前にして、実にフレンドリーに、そして機知に富んだやりとりで、語らいの輪を広げる。僕は何か頼もしかったなあ。おそらくアスリートとしては最悪といっていい苦況のなかで、その経験に磨かれて彼らは人間的に成長した。

 東京へ帰るクルマのなかでセルジオさんが「ホントにいい若者たちだねえ」としみじみ言う。セルジオさんから見るとJリーグがなくしてしまったものがここにあるという。まあ、僕はJリーグ、せめてサテライトの選手くらいには金銭的にも環境的にも整えてあげられないものかと思うが、彼らが損得なく、手探りで、生きている実
感を確かめるようにプレーヤーであり続ける、その姿も尊いものだと思う。日光1泊ツアーは大成功のうちに幕を閉じた。



2003/3/3(月)
 21時半入り、TBSラジオ『アクセス』出演。長野智子さん、今日15時ぐらいにNYから帰ってきたらしい。大変だなあ。おみやげにゴディバのコーヒー豆(「CAFE GODIVA」日本未輸入)をいただく。



2003/3/4(火)
 18時、銀座・かめ幸、自由国民社・大越正実氏、アートサプライ・古矢徹氏と会食。『シンプジャーナル・ベストセレクション80's』(自由国民社)の出版祝いを兼ねた飲み会。古矢徹は「VOW2代目総本部長」として知られるが、学生時代からの知り合い。共通の知人が自由国民社へもぐり込んだので、『シンプジャーナル』誌(当時は『新譜ジャーナル』)で書かせてもらうことでお互いにキャリアをスタートさせた。大越さんは、つまり僕が初めて連載を持った雑誌の編集長だ。

 まあ、ホントに大越さんもよく何の実績もない、大学出たての小僧に2ページの連載持たせたもんだと思う。今日話しててよくわかったが、僕は「最初の読者」としてはっきり大越さんをイメージし、大越さんにウケたくて書いていた。10年以上、顔を合わす機会がなかったけど、久々の大越さんは病気したりして随分気が弱くなってたなあ。だけど、自分はガッツも知性もある良い編集者と出逢っていたんだとあらためて幸せに思った。

 古矢は今回の『ベストセレクション80's』の編集を担当したんだけど、ナンシー関の短期集中連載の扱いをどうしようか相当迷ったらしい。僕も自分が営業しといてすっかり忘れていた。ナンちゃんはデビューしてすぐの頃、『シンプジャーナル』で仕事をしている。結局、掲載許可の連絡先がわからず見合わせることにしたらしいが、もったいなかったなあと思う(僕に尋ねたら教えたのに)。あと古矢、独身なんだなあ。大学時代はすんごい可愛い彼女いつも連れてたんだけどねえ。

 店を出て銀座の街角で古矢と別れ、大越さんと話しながら地下鉄の駅まで歩く。大越さん、疑いは晴れたんだけど一時、ガン研に行ってたから、何かちょっとウェットなんだよ。「いや、ホント有難う。有難う」って何度も言う。別れ際は妙にペコペコお辞儀する。肩で風切ってた編集長に似合わないからやめてよって言いたいんだけど、うまく言えなかった。俺、頑張らなきゃなあ。あんなに俺って存在を頼りにしてくれてる人がいる。もう一度、「最初の読者」を頭のどっかに置いて書こうと思う。



2003/3/5(水)
 18時半、日暮里・絵理花、(株)ベルガードの永井さん、坂田さん、ピーウィー、それから佐藤ヒゲ魔神、放送作家の近澤浩和さん、礒部くん等と飲み会。名護キャンプ、紅白戦のビデオを見てFs研究。いや、だけど当たり前のようにハンディで撮った日ハムの練習風景や紅白戦がテレビに映ってる焼肉屋って相当だよね。



2003/3/6(木)
 原稿書きの一日。昼間、G+のライブで巨人×日本ハムのオープン戦。札幌ドームなのに何故かビジターだった。開幕投手最有力のミラバルは文句ない仕上がり。鎌ヶ谷育ちの若手が去年のチャンピオンチーム相手に憶せず自分を主張している姿が良かった。Fsは若手が引っ張るチームに生まれ変わった。6対3で快勝。ボーイズ・ビー・アンビシャス!



2003/3/7(金)
 原稿書きの一日。『Number』は毎号、送本していただいてるのだが、新しい号(3月20日号、通巻571)が2冊届いた。開封してみると「この度は小誌の取材に御協力いただき、真に有難うございました」とか何とか、文春の田邊さんから礼状が添えられてる。ああ、間違えて届いちゃったんだと思ったら、阪神特集に僕のコメントが出ていた。これはホントに驚いた。そういえば月末、フリー編集者の新保信長さんから電話をもらって下柳や野口のことを話したんである。何か新保さんのことだから『SPA!』だろうとカン違いしていた。結婚記念日なので夜、浅草・ゆたかでトンカツ。



2003/3/8(土)
 原稿書きの一日。夜、米FOXテレビ製作の『裏切られたマイケル・ジャクソン』(フジ)を見るが、インタビューだけの構成で面白くも何ともない。マーチン・バシール記者(フジではそう表記された)の『―真実』は映像が面白かった。ロジックなんかどうでもいいよ。「取材記者の2枚舌」「コメントの削除・編集」も言っちゃえば当たり前の話。まあ、2人の子供の母親デビー・ロウの「ロジックのねじれ具合」だけはよくわかった。

 口直しにWOWOWで録画した『メメント』(2000年、米映画)。ガイ・ピアースが「妻を殺されて記憶障害になった男」を好演。時系列を逆にたどりながら、観客にストーリーを考えさせる手口は名案だと思う。監督はクリストファー・ノーラン。



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