蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)
| 2002年11月分 | |||||||
| 第5週 | 11/24 | 11/25 | 11/26 | 11/27 | 11/28 | 11/29 | 11/30 |
第5週
| 2002/11/24(日) |
| 寝坊。大失敗。早朝、NHK・BS-1でクラシコを見て、何となく眠れなくって9時頃ようやく寝たら今度は目覚ましで起きれなかった。ヤバイと思って時計を見たのが14時40分頃、もうどうやっても飛田給にたどり着けない。ガッカリしながらストーブをつけてコーヒーをいれる。FC東京のホーム最終戦は東京MXテレビだ。 Jリーグは昨日、磐田が完全優勝を果たし、それから、広島が柏との直接対決で90分勝ちして神戸と三ツ巴の残留争いになった。FC東京×浦和は目標の見えにくい戦いだけど(3位の賞金獲得?)、原博実監督にとっては古巣との一戦、「原東京」の総決算だ。さすがにカンプノウでのフィーゴみたいに空ビンは飛んでこないだろうけど、フットボールフィーリング満点の浦和サポーターなら必ず原さんにブーイングが来る。 中継がはじまって予想通り、東スタが盛り上がっちゃってて自分を呪うしかなかった。この2チームは応援カッコいい。試合内容的にはFC東京が攻めるが攻めきれない展開。浦和はカウンター速攻狙いだが、連勝中の迫力がない。ときどきベンチの原監督が映ったけど、今日はやきもきしているように見えた。アマラオが肉離れで途中退場。 0対0で延長に入り、浦和が永井、田中達と次々カードを切ってくるので気が気じゃなかった。決勝点は宮沢のFKからはね返りを福田が蹴りこむ。アマラオに代わって入った福田がユニホーム脱いじゃってスタンドにダイブ! すっげぇー! 1対0。FC東京3位浮上。試合後は原さんの素晴らしいスピーチがあって、遅れてでも飛田給へ行くべきだったかと又々、自分を呪う。 |
| 2002/11/25(月) |
| 原稿書きの一日。年末進行がヤマ場にさしかかる。まぁ、だけどどんなことがあっても今年の6月よりはマシだなぁ。今後の職業人生の支えになる。 |
| 2002/11/26(火) |
| 11時半入り、パシフィコ横浜、第50回民間放送全国大会・シンポジウム「スポーツ中継とラジオ」出演。文化放送が幹事局となった企画で久し振りに水谷加奈アナウンサーとのコンビが復活。水谷さんとは一切打ち合わせをしなかったけど、気配を消して欲しいとこでは気配を消してくれ、トンチンカンなこと言って欲しいとこでは的確にトンチンカンなことを言ってくれて最高にやりやすかった。呼吸としてはほとんど「ノールック・パスを通せる」感覚。 パネラーは元文化放送アナウンサーの戸谷真人さん、同アナウンサーの長谷川太さん、ラジオ日本ディレクターの岩田暁美さん、スポーツライターの玉木正之さん。僕の進行イメージは『意気揚々』と『WCJ』の両方の客に対してファンサービスになっていて、しかもシンポジウムとして成立している、というもの。古舘伊知郎がスタイルを作り出す元になったという戸谷さんの出演が大きい。議論を進めてゆくエンジン役として戸谷さんにどんどん前に出ていただいた。面識がないのが岩田暁美さんだけだったので、ほぼ想定通りの展開。客席にヨーコ・ゼッターランドさんと、おちまさとさんがいて驚いた。放送関係者からも好評だった由。 終了後、別のシンポジウムのパネラーで来ていた、いとうせいこうと話をした後、客席に来ていた電通・山本敏博氏と会食。山本さんはあくまで仕事でパシフィコ横浜に来ていたのだが、何しろ『意気揚々』も『WCJ』もほぼフルで楽しんだ人だから「初めて生の、動く加奈ちゃんを見ましたよ」みたいな感想。あと玉木さんのシンポジウム慣れ(例・「○○さん、マジメすぎるわ」と言って、相手の発言を制し急展開を作る)等について語り合う。 |
| 2002/11/27(水) |
| 12時、信濃町・慶応病院。CTスキャンの結果を聞く。炎症はおさまったとのこと。自分の頭蓋骨の状態に関して大変詳しくなる。 |
| 2002/11/28(木) |
| 原稿書きの一日。上京中の曽我ひとみさんを森昌子・森進一夫妻が激励のニュース。以前の会見で曽我さんが森昌子ファンだと発言したことを受けて。感じ入ったのはベスト版CDを手渡し、「どこまで御存知かわからないですけど」と言った森昌子に、「『おかあさん』までは知ってます」と答えたやりとり。地村保志さんの吉田拓郎といい、このニュアンスは同世代にしかわからないだろう。 |
| 2002/11/29(金) |
| 原稿書きの一日。『小さなスナック』(ナンシー関&リリー・フランキー著、文藝春秋刊)届く。『クレア』連載時には見逃した回もあって面白かった。「中国旅指南」の回に出てくる「上海人ピーターを連れてきた友だち」というのがうちの奥さんです。ナンちゃんはそのとき、待ち合わせの場所にダフ屋をひき連れてきたらしい。僕は成田にクルマで迎えに行く役だったんだけど、2週間中国滞在後の2人は妙に小汚くなってて笑った。ナンちゃんの頭にはかけたてのパーマがあたってたねぇ。 |
| 2002/11/30(土) |
| 原稿書きの一日。完徹で原稿を仕上げ、昼前、モーローとなりながら近所の床屋さんへ行く。そうしたら猛烈な睡魔が襲ってきて、帰宅後、冬山登山の人(「ここで眠ったら死ぬぞ!」とか)みたいになりながらNHK-BSの録画をセット。夕方起きて再生したら広島が降格していた。 |