蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)


2001年12月分
第5週 12/23 12/24 12/25 12/26 12/27 12/28 12/29
第6週 12/30 12/31


2001年12月 第4週分はこちら!



第5週

2001/12/23(日)
 昼過ぎ、大塚病院へ知り合いのお見舞いに行ってから15時、日暮里・絵理花、Redcaps納会。絵理花をフルキャパにする。焼肉はいいねえ。きんまちを見つけたので「てめーは水戸ホーリーホック存続危機とか言ってる最中にあの人生相談どういうことだ。そんならてめーは大多数とおんなじことだけして生きて死んでゆけ、バカタレ」等、こんこんと説教。いや、ホント言うとあれが出てから俺は激怒してたんだけど、誰も掲示板で怒んないから失望してたんだよ。日ハムも日光アイスバックスも別に必要ないんじゃないの、あの論法でいくと。



2001/12/24(月)
 13時、東京スタジアム、天皇杯準々決勝・東京V×川崎。来年は市原を応援しようと思ってたんだけど、原博実さんのFC東京監督就任で事情が変わる。少なくともJ1は極力フラットな立場で見ようと思う。で、それじゃ寂しいのでしばらく川崎フロンターレを追いかけてみようかなと思うのだ。中学3年から住んだとこだから故郷っていうほど強い思い入れはないんだけど、懐かしいからさ。たまに川崎へ足を運べば、親父やおふくろとも逢う機会が作れそうだし、長丁場のシーズンは絶対J1より面白いと思う。

そして、今日の相手は川崎を見捨てていった「東京ベルディ1969」 なのだった。元多摩区民としては許せない相手である。愛犬コロと生田緑地を散歩した日々にかけて、向ヶ丘遊園駅前の江崎書店で万引きした日々にかけて、川崎市を足蹴にする奴らは絶対勘弁できない。そうしたら「スタメン中5人が戦力外&引退」って川崎フロンターレが見事なカウンターサッカーやってくれてさ。3対0、快勝のベスト4進出。ぶらっと行けばどうせスタンドにいるだろうと思った「銀路」さんが、「今年、開幕からずっと見ててこんないいゲーム初めてですよ」と大喜びしていた。銀ちゃん、しばらく世話になるぜ。

22時、TBSラジオ『アクセス』3時間特番出演。TBSラジオの「50周年50時間特番」の一環として今日の『アクセス』は2部構成。第1部は神足裕司さんと通常パターンで、第2部はみうらじゅんさんと完全な深夜番組。だらだら行く感じが楽しかったなあ。終了後、小島アナや神足さん、スタッフ一同と赤坂の韓国料理店で打ち上げ。



2001/12/25(火)
 16時入り、『WCJ』出演。昨日は祝日の為、お休みをいただいたので今週最初の『WCJ』。今日、僕たちは面白い遊びをやった。「せっかくクリスマスなんだから何かひとつないかねえ」なんて話になってたのである。GONTITIに僕から声をかけてW杯出場国にちなんだ音楽(ブラジル→ボサノヴァとか)のスタジオライブをお願いしようとか、色々企画が持ち上がったのだが、やっぱりあくまでサッカー番組にこだわろうと思い直した。

で、結局、決まったのが「出演者、スタッフ一同、トンガリ帽子をかぶってるほかはいつもとまったく同じ内容」という方針。基本的には「メリークリスマス!」と言うのも禁止だし、トンガリ帽子のことにも触れない。又、視聴者には一切説明しない。ゲストをどうしようかという話になったが、こんな微妙なシャレをわかってくれて、なおかつトンガリ帽子がインパクトを持つ知的なサッカー関係者ということで、文句なく加藤久さんになった。まったく放送前の控え室を皆に見せたかったくらいだ。僕も国武プロデューサーも間宮も金子君も、スタイリストさんもメイクさんも全員トンガリ帽子。で、テーブルに「加藤久様」と書いた台本(実際には進行表)とトンガリ帽子がひと揃い置いてあるんだよ。

加藤さんは気持ちよく企画にのってくれた。いや、物凄くこの番組を気に入ってくださってて、噂によるとF1参戦が決まった佐藤琢磨と電通で同席した折、全然事情を知らない佐藤琢磨に向かって「いやー、えのきどさんって人がいてね、面白いんだよ、すぐカネコッとか言うんだよ、タクマ君もWCJ出た方がいいよ、面白いんだよ」と力説した由。番組後半、僕が古本屋で偶然見つけた『ワールドカップ殺人事件』(ペレ著、創元推理文庫、加藤さんが解説を担当)を出してトンガリ帽子の加藤さんをびっくりさせる。番組後、トンガリを脱いだ加藤さんは「いやー、面白かった。笑ってて終わっちゃった。家にいるみたいだ。この番組は出なくてもいいから、横で見てるだけでいいから呼んで下さいよ」と言って帰っていった。



2001/12/26(水)
 14時、銀座日航ホテル、メゾン・スレーヌ。『オレンジページ』編集部・藪下育子氏と新連載について打ち合わせ。

16時入り、スカパー『WCJ』出演。昨日の元日本代表キャプテン、加藤久さんの「キャプテンマークは緊張感を半分にし、集中力を倍にしてくれる」発言を受けて、そりゃ間宮にこそ必要じゃないかと今日はキャプテンマークをつけてみた。間宮キャプテンの指示の下、後藤健生さんの「今年のサッカー重大ニュース」総括がはじまる。先週から番組に参加したワインエキスパート・本間香奈さん(水野美紀似!)は今日も可愛くて後藤さん上機嫌。絶妙の「酔人蹴球問答」を繰りひろげる。ただ番組ラストで間宮キャプテンに総評を求めたら「のばしのばしやってる」との酷評。これにはもうしょんぼりですよ。後藤さんも「のばしのばしやらなきゃもたないような中身のない話ですいません」とキャプテンに謝っておられた。



2001/12/27(木)
 15時過ぎ、南伸坊さんの事務所に物凄く遅いお歳暮をお持ちしてから、16時20分入りでスカパー『WCJ』出演。いや、道が混んでてホントあせった。それから、もうひとつあせったのは15時頃、電源切ってたケータイを開けたら国武プロデューサーから昨夜遅く留守電が入ってて、廣山望選手の出演がOKになった由。いや、びっくりしてハンドル切りそこねるかと思った。

南米パラグアイのセロ・ポルテーニョへのレンタル移籍で素晴らしい活躍を見せた廣山選手が、我々の番組にゲスト出演してくれるかも知れないという話は、是非、実現させたいと思っていたが、昨夜、20時くらいにスカパーを後にした段階では「やっぱり当日はジェフ市原との契約交渉の予定が入っていて無理」ということだった。だから僕はゲストは西部謙司さんのつもりで、ああでもないこうでもないと色々シミュレーションを重ねていたのだ。人間、留守電はマメにチェックしなきゃダメだな。予習なしのぶっつけで廣山選手を迎え撃つとは。しかし、まあ、土壇場勝負の鉄則は「あれこれ迷う時間は最小限にして、これと決めたら強行突破!」である。面白いじゃないか、春から番組続けてどのくらいサッカー力がついたかわかるちょうどいい機会だ。

廣山選手は24歳とは思えない落ち着いた物腰だった。ぶっつけ本番のインタビューがどうにかこなせたのは、普段、原稿書きの逃避行動で廣山選手の公式サイトをのぞき、遠いアスンシオンに思いをはせていたおかげ。原稿書くだけが仕事じゃないってことですよ、あの一見、何の生産性もない、ただ単に机に向かうのが嫌で、妄想にふけってたような時間がちゃんとこうして役に立つんだもんなあ。廣山選手は全然、違和感なくパラグアイにアジャストした由。今、現在は来季の所属が南米のチームになるかヨーロッパになるか、それとも古巣のジェフ市原になるか交渉の真っ最中だ。この一年の間に彼が経験した事柄の重みを想う。渋滞でスタジオ入りが送れた西部謙司さんも合流して、皆で廣山選手と楽しい語らいのひととき。間宮加愛が何か言いたそうなそぶりだったので、「間宮は廣山さんと同じ千葉出身なんだよね」くらいの軽いフリをしたら、「そうなんですよ」の後、ニコニコしながらとんでもないことを聞きやがった。

「廣山さんは女子高生は好きですか?」

いや、もうあわてたあわてた。大急ぎで廣山選手に謝って間宮をボコボコにする。駄目だ、初対面の日本代表選手に熟女が好きかとか女子高生が好きかとかオンエア中に尋ねるのは。ただ放送終了後、その質問のおかげで、今、パラグアイのティーンエイジャーの女の子の間でルーズソックスが流行っているという貴重な情報が廣山選手からもたらされた。たぶん日本向けに中国とかで大量に作ったストックが南米へ廻ってんじゃないかなあ。



2001/12/28(金)
 16時入り、スカパー『WCJ』出演。今年最後の番組ゲストは安齋肇さん。今日は今年一年の『WCJ』放送後記といった内容で、長らく暖めていた間宮ネタを投入。又、安齋さんが何とその後、知人のツテでW杯3試合見られることが判明、僕からすると「僕だけの親友の安齋さん」だと思ってたものが「みんなの親友の安齋さん」ってことになっちゃってちょっぴり寂しかったのである。番組ではこうした問題を初の試み「双方向システムによる視聴者意識調査(ウソ)」によってカウント集計、間宮、安齋の両氏に反省を促す形で大団円を迎えた。

19時半、お台場のテックスメックス料理店にて『WCJ』納会。もんのすごく忙しいのに安齋さんが残ってくれてスタッフ一同大喜びであった。又、電通に戻った山本敏博さんも顔を出してくれて、皆で今年を振り返る。皆、言ってくれたことだが、正直な話、僕もこんなに面白い番組になるとは思っていなかった。自分のインタビュー能力やスポーツ的関心、それからたぶんテレビでは珍しい筈の「キャストやスカパースタッフの内輪話をばんばん暴露しながら自画像を描いていくラジオ的アプローチ」みたいなところは、ある程度イメージがあったし、うまくやれたと思ってる。想像をこえていたのは例えば原博実さんに代表されるゲスト出演者の素晴らしさだ。想像をこえているという意味では間宮加愛も同じ。僕は普段の仕事が原稿書きで、自分の考えの範囲内でやりくりしてるようなもんだから、チームでやる仕事はそういう思いも寄らないことに出くわすのが一番嬉しい。それからウイークデイ、ずっとスカパーに泊まり込みで、弁当ばっかり食ってるADとか、そういう裏方さんに支えられ、特に先週だな、チーム全体が一戦一戦成長していくような充実感を感じた。本当に皆、おつかれさん。来年はもっと面白くしようよ。



2001/12/29(土)
 16時フェイスオフ、日光霧降アリーナ、日光アイスバックス×コクド。今日からオフ。日光でのコクド2連勝を温泉旅館一泊コースで楽しもうって了見である。本間さんの氷上結婚式のCDも昨日、銀座の山野楽器で買ったし、道中、カーステレオは一緒に買った『アリーmyラブ』関連CD(ボンダ・シェパードとかバリー・ホワイトとか)でウキウキ状態。

まあ、Bucksの経営問題とか、ケガ人が多くて連敗中であることとかを思えばウキウキしてちゃ申し訳ないのかも知れないが、こっちも力いっぱい働いてやっとオフに入ったんだ。Bucksの公式HPの掲示板に、そうした事情のなか氷上結婚式をすることへの批判が書き込まれ、又、妊娠中の奥さんの体調を気づかった批判(とてもえのきどがそこまで考えて提案をしたとは思えない由。いや、私の不徳の致すところです)が相次ぎ、とうとう本間さん本人から「30日、チームが負けた場合は中止にさせていただけないでしょうか」という物凄くつらそうな留守電が入る始末(もちろん快諾。本間さんに困ってもらおうと思って企画した話じゃないからさ)だけども、日光が近づくにつれてどんどんウキウキしてくるんだよな。

BucksのHP見てない人もいるだろうから、これまでの経緯を正直に明かすと、本間さんの電撃結婚を知ったのが11月3日、東伏見の開幕戦のとき。その日、冗談で「氷上結婚式どうなの?」と冷やかしたのがことの発端。親族だけの結婚式は済ませたけど、経済的な理由もあってホッケー関係者には完全に内緒なのだった。当日は6チームの集結戦だったこともあり、Bucksも含め関係者の間で「本間さん、水くさい」の声がわき上がり、何というか「本間靖之水くささNo.1」という感じになった。後に実況アナの加藤じろうさんに聞いても「披露宴の司会頼まれてたんですけどねえ、本まで買って待ってたのに事後報告ですよ。ホントに水くさいです」という有様である。

まあ、だけど顔合わす度、「どう? 氷上結婚式の方は? 進んでる?」とかからかってたんだけど、まさか本当にやるとは思っていなかった。しばらく経った頃、本間さんの様子が満更でもないみたいなんだよ。ホントにやる気があるのかどうか尋ねてみた。ホントにやる気があるんなら僕が言い出しっぺだから企画から何から総合プロデュースするよと言った。まあ最初に言ってから1ヶ月以上経ってたから家でもそんな話をしてたんだと思う。つまり、結果的には一番最初にアプローチしたことが御両人の意思確認という作業だったことになる。

それからBucksのフロントの建部さんに連盟とか、霧降アリーナ等のOKをとりつけてもらって、村井君に選手の合意をとりまとめてもらった。加藤じろうさんにも協力をお願いして、つまり一通り根回しを済ませてから、Bucksの公式HPに直訴状を書き込んだんである。まあ、大人のやることですけん。本間さんやチームに迷惑かかるのが一番困る。しかも直訴状の最後には「すごすご引き下がる用意がある」とフロントに逃げ道を確保しておいた。

自分としては万全を期したつもりだったけど、それでも批判というのは出てくるもんなんだなあと感じ入る。私の日頃の行いでしょうか。当方のプライオリティは明確で、御両人の気持ち最優先だから、流れにしたがうだけだけど「勝ったら結婚式、負けたら中止」ってのも随分変な話だなあと思う。それじゃアレかい、お嫁さんは衣装着て控え室で待たされて負けたら着替えて帰れってことか。あと、「負けたら中止でいいんじゃないの。チーム一丸となって本間さんを祝おうと頑張るわけだし」みたいなことをしたり顔で言う人が僕は大嫌いである。そういう人はスポーツの何たるかも、人の心も、両方まるっきりわかってないんじゃないかな。

あ、そうだ経理面にも言及しとこうか。貸衣装、使用CD、台本製作、全てえのきどが負担しました。チームの財布&本間家の財布は一切関係ないので御安心を。これ全部、明日、使わないかも知れないわけだけど、こちとら五月の鯉の吹き流しよ、腹んなか何にもないよ。言いたいのはさ、好きな奴に何かしてやるのに俺はケチケチしないってことだよ。

長くなった。5対7で負けちゃったけど熱い試合だったよ。まあ、だけど何故、このところ最後の最後で追いつかれたり、逆転されたりしてたのかもよくわかる試合だった。Bucksは守れなきゃ勝てないよ。DF陣ばかりケガでやられて、高橋淳一(#34)も村井(#8)も手負いの状態で頑張っている。DF5人廻しはちょっと厳しいなあ。
それからセットをいじりすぎてる気がした。リレーションがうまくいってなくて選手が重なったりしている。5点とってるんだから本来なら勝たなきゃいけない試合だった。




第6週

2001/12/30(日)
 14時フェイスオフ、日光霧降アリーナ、日光アイスバックス×コクド。温泉旅館を10時前にチェックアウトしてから日光金谷ホテルでコーヒー飲んだり、洋品店で日光中学のジャージを買おうとして変な目で見られたり、まあ色んなことして、今年最後の一戦に備える。天気雨のような状態で、晴れているのに小雪がぱらつく。地元の人は「風花が舞う」と風情のある言い方をする。遠くの山々が雪をかぶってきらきら輝いていた。

年内ラストゲーム、Bucksは黒のサードジャージで登場。アリーナは立ち見客の出る大盛況である。何とか勝って連敗を6で止めて欲しい。しかし、昨日のコクドは一時期の不調が嘘のようによく動けていた。必ず3人戻って守りを固めていたのが印象に残る。むしろ、よく5点取れたなあと温泉につかりながら話したくらいだ。敵はかなりの好調と見た。

ゲームは昨日に続く大量失点。連日、敵のハットトリック達成を見ることになった。2ピリ、Bucksも追い上げの気配を見せたが、どうしても追いつけず、逆に離されてゆく。3ピリはBucksの足が止まった。点差が開いているのでコクドは無理をしない。昨日はまだゲームに動きがあったが、今日は完敗。選手がバテバテなのは見てわかるけれど、今日の3ピリみたいなのは見ていてつらいものがある。

2対6で試合終了。腕組みしたまま終了のブザーを聞いた。これで本間さんの氷上結婚式も中止か。お客さんが帰り始めるのをそのままの姿勢で見る。まあ、それも一本気な本間さんらしいなと気持ちを切り替えようとしたとき、お客さんの動きが止まったのに気づく。バックスタンドのサポーターを中心に「ほんまとー」コールが起きていた。フルキャパの半数以上、おそらく千数百人のファンがコールを続けている。アリーナサイドを見ると関係者が対応を協議している気配だ。

階段を降りてアリーナサイドへ走る。フロントの建部さんがいたので「これはどうしたもんでしょう?」と尋ねる。コールはさっきより大きくなっている。「やるしかないです」、きっぱりと建部さんが言う。本間さんを探した。本間さんとは一応、負けた場合は場内アナウンスで中止を告げる約束になっていた。ようやく本間さんを見つける。

えの「やろうよ!」
本 「…やりますか」
えの「やるよ!」
本 「やりましょう!」

マイクを準備してもらい、アリーナのファンにあいさつした。加藤じろうさんが選手インタビューの収録で少し時間がかかるということなので、つなぐ狙いだった。仕事を終えて加藤さんが到着する。本間さんは審判や栃木県アイスホッケー連盟の人やなんかから「おめでとう」を言われて次第に目が三角になっている。氷の上に赤いじゅうたんが敷かれ、僕と加藤さんはリンク中央へゆっくり歩いていった。

ほぼ事前に書いておいた台本通りに氷上結婚式が進行する。加藤さんに協力要請してホントに助かった。台本に足りないものを現場ですぐ補ってくれる。新郎新婦が氷上に姿を現したときは本当に感動的だった。「結婚行進曲」の鳴り響くなか、ファンの紙テープが舞い、花嫁は純白のウェディングドレスである。僕は嬉しかったですよ。これが本間さんがコツコツ頑張ってきたことに対するファンの気持ちだと思う。選手もユニホーム姿でリンクに登場して「本間さん、水くさい」(高橋朋成キャプテン)などと祝辞を言ってくれた。

本間さんホントに半泣きになってて、段取り忘れて予定より早く引っ込んじゃうもんだから、選手はハイタッチしようと待ち構えてたし、ファンもライトペン準備してたのに最後は何となく解散になった。だけどリハーサルもしてない出し物、実際にやるとこんなもんだと思う。僕もジーンと来た。思ってたよりも百倍も千倍も素晴らしい結婚式だった。それもこれもファンのおかげだと思う。

帰りにケータイでちょこっとおつかれさんを言って、東京に戻ってからもう一度、電話したら本当に感激してくれてて、御二人とも余韻冷めやらない様子だった。

「えのきどさん、僕はチームの為にもっともっと頑張りますよ」

と電話口で熱弁をふるう本間さん。初婚なのに結婚記念日が2つもあるのはあんたぐらいのもんだ。チームの状況は厳しいけど、頑張ろうぜ。日光バックスを沢山の人が支持してくれるのは、つまり人間的な部分だと思うんだ。



2001/12/31(月)
 何もしない静かな一日。ストーブのそばでコーヒーを飲んで過ごす。恒例の欽ドン賞は「小林朗子財団」に授与します。団体としての授賞は初めてだけど、「えのきどピンバッジ」を勝手に作るなどの財団活動が「スカパーの役に立った」ことが決め手となりました。それでは皆さん、良いお年を! 僕から皆さんに田村奈津子の詩をプレゼントします。


名もない日

           田村奈津子

名もない日
ただ日が昇り 風が吹き
雲が流れていく その朝に
種は鳥に 運ばれて
小さな土に 寝床をみつける

名もない日
たくらみのように
色づく実は
秘密の言葉で 囁き
約束の地を 予言する

名もない日
虹が立った その場所で
石を集め 木々を組み
二人は 夢を交換し
社に 魂をそそぎこむ

名もない日
天使と悪魔は 宴によばれ
道連れの 証として
水をワインに 変え
魔法をかけあっては 大声で笑う

名もない日
開かれた 祝いの箱には
星星から 手紙が届き
聞きなれた 呪文に
魂が 混じり合う

名もない日
二人は
風のカーテンをめくり
景色に埋められた
物語を発掘する

名もない日の
名を呼んで
二人は
赤い実を捧げ
運命の精霊を 呼び出すのだ


『人体望遠鏡』(あざみ書房刊)収録




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