蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)


2001年12月分
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第4週

2001/12/16(日)
 13時、サントリー東伏見アイスアリーナ、アイスホッケー日本リーグ集結戦。日光アイスバックス×札幌ポラリス、西武鉄道×日本製紙クレインズの2試合が行われる。いや、昨日Bucksは日光霧降アリーナでとてつもない試合をやったんすよ。第3ピリオドの19分59秒に3対3の同点に追いつき、PS戦で勝ちやがった。それもケガから復帰の高橋淳一(#34)がどっちも決めたんだよ。見に行きゃよかったなあ。そんな試合って生涯にいっぺんあるかないかだよ。修了のブザー鳴ると同時にゴール決まったらしいよ。文字通りの奇跡でしょう。

 だけど、日光で3試合連続のPS戦だから選手はバテてるだろうなと覚悟して西武新宿線に乗ったんだよ。案の定、重い立ち上がりでさ、こういう日はケガがないといいなと思った途端、村井(#8)が倒れた。札幌の当たりも後味悪いものだったんだけど、あの頑張り屋の村井が仰向けになったまましばらく動けないんだよ。脳しんとうかと思ったけど、意識ははっきりしてるんだ。しばらくしてベンチに下がったけど、あんなに痛がる村井を見たことがない。あの仰向けで動けなかったのは痛みが激しすぎてショック状態だったんだ。

 試合の流れは今日は書く気がしない。ケガをおして戦列復帰した高橋淳一(#34)も壊されて、斉藤大輔(#7)が完全にキレていた。殺伐とした内容。小平と岡本クロードの初ゴールが救いかなあ。3対7。

 試合終了後、フロントの建部さん見つけて村井の様子を尋ねたら、肋骨が折れて浮いちゃってるらしいとのこと。まあ、詳細は病院で検査をしないとわからないが、肩と肋骨にかなりのダメージを負ったことは確か。しばらくしたら当の村井がニコニコしながら歩いてきたんで驚いた。痛み止めの注射を打った由。すぐ病院行ったらどうかと思ったが、日曜なのでチームバスでいったん日光へ帰り、明日、受診するらしい。ホッケー選手って俺ら通常人とは全然違う常識で生きている。俺たちクルマにはねられでもしないかぎり、あんなことになかなかなんないけど確実に救急車だよ。

 痛々しくてあんまり声がかけられず、村井君や建部さんと別れ、西武×クレインズ見てから東伏見「ひょうたん」へ。「ひょうたん」なかなかいい店だった。マッチを頼んだら、単にマジックで「ひょうたん」と書かれたそば屋のライターが出てきたので、店の人に交渉して僕の百円ライターととりかえっこしてもらう。20数年前の原博実さんの日本代表入りに乾杯した。



2001/12/17(月)
 16時入り、スカパー『WCJ』出演。今週は原稿の〆切が集中している週で、身体に思いきり負担をかけないとのりきれない。とりあえず月曜朝〆切の原稿に勝負をかけ、2時間くらい眠って青海放送センター入り。読者も視聴者も目の前のそれで判断するから、俺も目の前に来たやつにひとつひとつ勝負をかけるしかない。月曜ゲストは風間八宏さん。チェコの話がテーマだったが、チェコではサッカー興行の時間をずらす習慣があり、うまくすると例えばプラハで午前、午後、夜と一日3試合見るようなことが可能だそうだ。チェコ行きてえー。ホッケー好きになってから既にヨーロッパで一番行きたい国になってたんだよなあ。ビールと人形劇の伝統でも有名だ。あとチェコフィルってのが、これば又、いいオーケストラなんすよ。

 21時半入り、TBSラジオ『アクセス』出演。初めてお台場から直接クルマで赤坂入り。ラジオの世界はレーティング・ウィークだ。今夜のスペシャルゲストは北野誠さん。北野さんとは10年くらい前、『サイキック青年団』のゲストに呼んでもらって以来の知り合いで、あ、いや、正確にはそうじゃない。竹内義和さんとのトークイベントで呼ばれたら、出演予定じゃなかった北野さんが出てきて何か剣呑な感じでつっかかってきたのだ。どうも北野さんは少し前に『週刊文春』に僕が書いたコラムに腹をたててたらしくて、まあ、だけど会うとさっぱりした人だからさ、何かそのまま夜、朝日放送行って『サイキック―』の生やったんじゃなかったっけ。その後、自分のイベントに呼んでくれたりして、いや個人的なつき合いはないけど、仕事ぶりはいつも拝見していた。久し振りに会ったらプロの顔になってたなあ。CM中やなんかに竹内さんの話や『探偵ナイトスクープ』の話をする。帰宅後、昼前まで原稿書き。

 附記、帰宅したら電通・山本敏博氏からFAXが来ていて、何と土曜日、奥さんと日光行って「ラスト1秒の同点劇」を見てきやがったらしい。ちっきしょー、ヒサシを貸して母屋をとられるとはこのことか。FAX文中で興味深かったのは「1点を追いかけてパワープレー+6人攻撃。最後の最後、本当のラストチャンス、残り12秒でタイムアウト。だってその10秒前も20秒前も取らなかったのよ、タイムアウト。若林弟ってもしかして勝負師?」という指摘。



2001/12/18(火)
 16時入り、スカパー『WCJ』出演。さあ、今日は大一番だ。国武プロデューサーにダメ元でコンタクトをとってもらったJAWOCチケット担当業務局長、御園慎一郎さんがゲスト。チケット騒動の渦中に、担当局長がTV生出演である。いや、まず最初に言っておきたいけど、よく出てきてくれたと思う。まあ、W杯チケットの2次発売は電話回線の絶対数が不足していて、大混乱であったから、その見通しの甘さについては手加減しないけれど、誠意というか説明責任を果たそうという姿勢は評価すべきである。東大法学部卒の自治省の役人みたいだけど、その点はえらい。

今日、我々の番組は初めて「サイド攻撃」というオプションを使用した。こういう企画のMCというのは難しいもので、一方的に攻撃しても番組として成立しないんである。僕は攻めつつ、徐々に聞き役に廻ってJAWOCの見通しだとか、FIFAとの不協和音だとか、なるべく具体的な要素を引き出す仕事をする。一方で、普段、データマンに専念してる金子君が「三都主」のようにサイドを駆け上がって攻撃参加する。JAWOCが早い話、コアなサッカーファンを見捨ててた事実はかなり明白になったのじゃないか。

この数日、「通算36時間、リダイヤル押しっぱなしです! 死ねJAWOC!」みたいな大量のFAXが寄せられていたが、この日は皆、非常に冷静な文面で、質のいい視聴者が見てくれてんだなあと感心した。番組最後に普段、間宮加愛にしか使ってない「放置プレー」を御園さんに使う。いや、これは突然思いついたんだけど、番組のラスト3分、俺も間宮も金子君もスタジオ出てって、御園さん必死にカメラに向かっておわびを言ってた。悪いけどさ、テレビだって根性あればこんなこともできるんだぜ。



2001/12/19(水)
 16時入り、スカパー『WCJ』出演。番組出演後、江東区で講演会があるという後藤健生さんがゲスト。今週から水曜だけワインの提供があり、本間かなさんという水野美紀似の「ワインエキスパート」が後藤さんに世界の美酒をすすめてくれる。もう、後藤さんウキウキで最高に楽しい。「オランダは何故、W杯に来れなかったのか」というテーマだった筈が、気がついたらマラドーナの話になっていた。だけど、ほろ酔いの後藤さんのこの台詞は千金の価値があった。

「大会を通じて誰がサッカーの神に愛でられ、それに感応する資格を得るのか、に比べたら、どの国が優勝するかなんて取るに足りない話ですよ」

終了後、Bucksの村井君とレンラクをとる。今季絶望かも知れないということで、心配して毎日ケータイで様子を聞いていたが、骨折もなく早ければ神戸から戦列復帰できる可能性があるとのこと。スーパーマンだなあ。もし、重症なら日光の病院より、東京の、例えばスポーツ医学の専門医がいる慈恵医大に行った方がいいと言って、何ならうちに居候するかと持ちかけてたんだけど、あわてて家をかたづける必要がなくなる。



2001/12/20(木)
 16時入り、スカパー『WCJ』出演。今日のゲストは、昨日、ホテル・グランドパレスにて「W杯期間中の週2回刊」企画を発表したばかりの『週刊サッカーマガジン』編集長、伊東武彦さん。スカパーの現場も絶対、誰か倒れる奴出るんじゃないかと思うけど、マガジンも凄いことやるねえ。

伊東さんといえばオフトジャパン時代の日本代表担当として健筆をふるった方で、当時、ライバル誌の『サッカーダイジェスト』の代表担当が金子達仁さんだった。金子さんは御存知のようにその後、スポーツライターとして華々しい活躍をされてるわけだけど、伊東さんは雑誌の現場に踏みとどまったんである。インタビュー中、その雑誌づくりへの愛情の根っこのところに、かつて老舗誌『イレブン』の休刊に立ち会った痛みがあるのじゃないかという感じが透けて見えた。

番組的には実に楽しい内容で、かつ『Number』の功罪にも言及するという刺激に富んだもの。僕は『WCJ』を通じて何人もの人と「電撃的に気が合う」という体験を繰り返しているけれど、伊東さんとも仲良くなりそうだなあ。終わった後、伊東さんが「いやー、1時間短かった。話引き出すのホントにうまいね。何か天狗で2時間くらい飲んだみたいですよ。天狗ってとこが大事なんだけど」と喜んでくれたのが嬉しい。



2001/12/21(金)
 16時入り、スカパー『原博実アワー』最終回出演。とうとう、この日が来てしまった。現場復帰の決まった原博実さんの最後のテレビ出演である。僕は番組に向かうとき、展開のパターンをあらかじめ何通りかシミュレーションして、その上で現場の雰囲気で急に変えたりしてるんだけど、今回は何も事前には考えておかないことにした。僕のインタビュー技術を総動員するやり方は前回と前々回でもういっぱいである。今日はインタビュー番組じゃなく、イベント番組だという気がした。国武プロデューサーからクス玉とクラッカー、それからサプライズ・ゲスト・八塚浩アナウンサーの仕込みがアイデアとして出され、僕の方から事前にお願いしたのはたったひとつ「今年、4月のレッジーナ×ナポリ戦のVTRを用意して下さい」(本当はUEFA CUP決勝・アラベス×リバプールもリクエストを出したんだけど、権利関係で使用不可とわかる)であった。VTRの使用箇所は何分何秒まで僕が指定。全てはある場所に棲む、魂を同じゅうする友へのプレゼントのつもりだ。

原さんは実にいい感じで、スタジオ入りもわざと僕らに「トイレへ寄る」と言って、ひとりだけ階段を使ったり、スカパーとの別れを噛みしめている風情だった。スタッフが皆、言ってたことだ。原さんは時間が空くと青海の辺りを走って来られたり、ミーティングルームに来るのも階段を使う。いつでも現場復帰できるように基礎体力を落とさない気構えだったのだ。スタッフといえば、カメラマンもADも副調の人も、皆、今日は物凄く張りきっていた。みんな、原さんが大好きなのだ。いい番組にしたかった。ADが「昨夜、眠れなかったですよ」と言う。僕もそうだった。

番組は2週持ち越しになってた旅の話でスタートし、いや、僕は情けないんだけど聞いてるうちにすんごい泣きそうになってきちゃってリアクションが浅いんだよ。それに気づいた原さんがカバーしようとしてくれて、又、泣きそうになる困った展開。MC卓の時計を見るとあと30分とか出ててさ、ああ、原さんをピッチサイドへお返しするまであとたった30分かなんて思った。八塚さんを呼び込んでからは空気がガラッと変わったので本当に助かった。名コンビですよ、原さんと八塚さん。それにジーンと来てると又、リアクションが浅くなるので困る。エンディングなんて色々言いたいんだけど言葉が出てこなくて、ちょっと自分としては駄目だったと思う。だけど、僕は正直にやりましたよ。もうすぐ発売になる『NAVI』に原さんのことを書いたので、僕が番組のラストで言いたかったことは良ければ立ち読みでいいから御覧いただきたい。番組が終わってスタジオを出たら本当にスカパーじゅうの人が通路にいて、倉敷さんや羽中田さんなんか自分の収録中止してモニター見てたらしくて、みんなが原さんに拍手だ。原さん、最後の最後までおつき合いいただいて有難うございました。来季の健闘を祈ります。



2001/12/22(土)
 原稿書きの一日。結局、何だかんだで今週は平均睡眠時間3時間コースで年末進行をしのぎ切った。いや、もうくたくたである。昼過ぎまで寝て、更にソファで夕方までテレビ見ながら居眠り。夜になってから『週刊ベースボール』の年内最後の原稿(「さらば片岡篤史!」)を執筆。




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