蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)
| 2001年10月分 | |||||||
| 第2週 | 10/7 | 10/8 | 10/9 | 10/10 | 10/11 | 10/12 | 10/13 |
第2週
| 2001/10/7(日) |
| 大失敗。5時頃、12時間テレビの電話出演を終え、もう完全に荷作りを済ませGパンはいて靴もはいたまま、朝7時台の列車を待っていた。今日はこれからミラノへ戻り、マルペンサ空港からロンドンのヒースロー空港へ移動、ホテルに荷物を置いて、すぐに電車でサウサンプトンまで移動、日本代表×ナイジェリアの試合にたどり着くんである。これは一睡も出来ないなと覚悟してたんだけど、6時半頃、出来心で30分だけ寝ようと思ってしまった。目が覚めたら8時前、1時間半も眠ってしまって大あわてで駅へ急ぐ。 まあ、そうはいっても8時の時点でモデナ駅にいるんだから、次の列車時刻は調べてないが12時40分の飛行機には間に合うだろうと思ってたら、次の列車が9時57分発とわかってしばらく呆然とする。モデナは東武日光駅より不便なところなのであった。これはどうやっても間に合わない。おそらくフライト時刻くらいに空港にたどり着く感じだろうと、呆然自失で2時間、モデナ駅のホームにたたずむ。何故、グループ9のイングランドの予選がマンチェスターで行われたのにそっちにしてもらわなかったのか。そうなると一体、俺は何の為にロンドンへ移動するのか。案の定、空港へ行ってみると次の英国航空ロンドン行きは17時台とのこと。「駄目とわかってても念の為、ゴールに詰めた」形だったので12時37分に到着して、目の前で乗る筈の飛行機が飛び立つのを見て空しさ倍増。 午後いっぱいを英国航空ラウンジで『南米蹴球紀行』(クリス・テイラー著、東本貴司訳、勁文社、これは名著!)を読んで過ごし、17時過ぎ、振り替え便に搭乗、そうしたらこれが天候のせいというアナウンスのまま19時過ぎまで飛ばない。まあ、別にこうなったら同じこととウトウトしてたら、隣の英国人男性がケータイを切って「戦争が始まった」と言う。「今、米軍の空爆をテレビが伝えてるらしいよ」とのこと。いよいよ、来たか。ひょっとしてフライトしないのって関係あるのか。夜遅くなってロンドンのセントジェームズ・キャベンディシュにチェックイン。さっそくテレビをつけたら空爆には英軍も参加していた。 |
| 2001/10/8(月) |
| まいったなー、ロンドンでやることないや。仕方ないので「ひとりで時間のあるときしか出来ないこと」として10時開館と同時に大英博物館へ入り、17時の閉館まで丹念に見て廻る。僕はこういうことやってると次々に興味や考えが湧いてきて、放っとくといくらでも時間がかかってしまうので、うちの奥さんと一緒の旅行のときは評判悪いんである。だけどアレだね、サッカーも博物学も早い話、帝国主義の産物だね。ノートをとりながら見て廻ったので、細かいことをここに書いてもいいんだけど、まあ、そういうのはいずれ原稿に生かすことにしよう。物凄く発見が多かった。 19時、パレスシアター、『レ・ミゼラブル』。もう、すんごいロングランだと思うんだけど未見だったのでこの演目にする。席はもちろんバルコニー、いわゆる天井桟敷である。パレスは年季の入ったいい劇場だったなあ。それとあと、客席をああいう風にタテに積む発想はこっちのサッカー場にも通じるね。劇場の観客論、ヒエラルキーの在り方は、英国ではフットボールに先行する形で既に存在したから、サッカー場の客席レイアウトに影響や連想を与えていない筈がない。『レ・ミゼラブル』がどうでもいいような話だったせいもあって、「演劇やスポーツの成立に観客はどのくらい主体的な存在だろうか」といったことを考える。 たぶん芝居もスポーツも原初的な発生は遊戯であった筈で、まあつまり「やると本人が面白いこと」だったと思う。それが発展する過程で、規模の変化、意味合いの変化を生じてきて、「見てる方も面白いです」「見てる俺も本人といえば本人です」という話になった。もっと言うと「テレビで見てる方も面白いです」「テレビで見てる俺も本人といえば本人です」まで出現したり。これには各々の本人の実感的序列が出来上がるので、 B「テレビで見てるんじゃ生のダイゴ味がわからないよ」 C「テレビでわからないんじゃわからない方が悪いよ。わかるようにするのがプロだし、見る目があって、本気でいつも見てればテレビだってわかるんだよ」 A「見てないでやったらどうなの。見てるよりやるのが一番面白いんだからさ」 なんてなったりねえ。一般的にはA>B>Cの順に本人のエラさが違うというか、主体性があることになってるんだけど、ま、芝居のテレビ中継は論外としてもさ、今、どの本人が一番本人かわかりにくくなってるでしょう。ウエスト・エンドの俳優は腕ききで、物語のどうしようもなさを随分救ってくれた。あとイギリスのトレーニングされた舞台英語は気持ちいいなあ。 ホテルに戻ってスカパー広瀬さんと夜中、話し込む。いや、もう当方は平謝りだけど、サウサンプトンは大雨ですんごい寒かったらしい。日本代表には課題の残った遠征だったようだ。帰国したらナイジェリア戦ビデオで見ようって、俺は一体何やってるんだ。見てない俺も本人といえば本人ですけど、見たかった本人です。ミラノで大規模な飛行機事故の由、スカイTVのニュースをつけっぱなしにして眠る。 |
| 2001/10/9(火) |
| 移動日。ヒースロー空港からKLM機でオランダ・ロッテルダム空港へ着いたんだけど、これが又、佐賀空港みたいなちっちゃなとこでさあ、オランダ第2の都市っていってもこんなもんか。街も案外小さいですよ。手元にロッテルダム市の人口がないんだけど、首都アムステルダムはわかって75万人だって。それより少ないわけでしょう。オランダの通貨はギルダーで、こんにちはは「フーデン・ダハ」か。幕末の蘭学者も言ったんだなあ「フーデン・ダハ」。風が強くて物凄く寒い。 予約してあったホテル・カンパニールは街はずれのモーテルみたいなとこだった。地図で確認すると市の中心部までけっこう距離がある。荷物を部屋に置いてさっそく散歩に出るが、噂通りの自転車社会だ。どの道も中央に自動車レーンがあって、その外側に自転車専用レーンがあって歩道がある。オランダ人は平均身長が190センチ近い大柄(!)で、体力があるので、寒くても風が吹いても皆、平気で自転車をこぐ。市街が第2次大戦でナチスに焼かれてモダニズム建築ばっかりなせいと、無公害の乗り物を大切にするモータリゼーションと、それから近年は「ワークシェア」といって、国民全体で労働時間を短縮することで「収入は減るけれど失業者を出さないようにしよう」と合意した不景気対策の先進性(これは「労働」や「人生の持ち時間」についての新しいイメージをひらいた。要するに週5日働いてる人が、週2.5日働くことにしたら収入は半分になるけれど、あと1人雇用が作れるわけだ)等の印象で、まるで未来都市へ来た感覚。深夜まで原稿書き。 |
| 2001/10/10(水) |
| 8時、『WCWJ』電話出演。倉敷保雄さんがMCをやってくれて、ゲストが金子達仁さん。国際ケータイの電波状態がよくなかったのとタイムラグが出来て先方の反応がよくわからないのであんまり上手く行かなかった。 最寄りのアレキサンダー駅(オランダ読み不明)で「電車・地下鉄・トラム・バス」共通の市内一日乗車券を買って街へ繰り出す。ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館では大がかりなボッシュ展をやっていた。なるほどねえ、オランダといったらレンブラント、ゴッホ、ファン・アイク、ボッシュと来るねえ。あんなにごっそり見たのは初めてでボッシュ面白い奴だなあ。どの絵にも一種独特のセンス・オブ・ユーモアがある。常設展はゴッホも良かったんだけど、ここはピーター・ブリューゲルの『バベルの塔』持ってるんだよ。これがワールドトレードセンターに見えて鳥肌が立った。 |

ミュージアム・ショップで購入した『バベルの塔』マウスパッド。
街で買い物をしていったんホテルへ戻り荷物を置いてから、少し早めにフェイエノールト・スタディオンへ。これが又、巨大スタジアムでびっくりであった。すぐ隣の敷地が練習グラウンド(何面もとってある)になっていて、小野はこんな素晴らしいとこでサッカーやってるんだなあと思う。サポーターが到着する様子を見てるとフラッグを持ったりユニホームシャツを着たりした「大柄いかれぽんち」が、駅のホームに一歩踏み出した途端歌っちゃってるんで大笑い。あれは車内でも歌ってたね。そんなのが電車が着く度、次から次へやって来る。僕はロッテルダム中央駅からバスに乗って新マース川を渡るコースで来たのでフェイエノールト地区の団地に移民が多い感じやなんかが理解できた。 スタジアムへ入るとき案内のおじさんにチケットを見せ、「ここから遠いの?」と英語で尋ねると「そうそう、ここからね、嫌になるくらい階段を登ってたどり着いたところがあなたのブロックです。それじゃよい旅を」と冗談を言ってくれる。「日本人か?」と訊かれたので「そうだ」と答えると「オノが活躍するといいね、コニチワ、アリガトヤシタ」と来た。日本人歓迎ムードが嬉しい。「俺もそれを願ってるんすよ、アリガトヤシタ」と返し、階段を登る。 20時45分キックオフ、チャンピオンズリーグ・1次リーグ(グループH)、フェイエノールト×バイエルン・ミュンヘン。米同時多発テロの影響で延期されていた開幕カードである。「ディフェンディング・チャンピオン」というより「ドイツサッカーの象徴/バイエルン・ミュンヘン」を迎えてフェイエノールト・スタディオンは炎のように燃えていた。僕は『サッカーの敵』(サイモン・クーパー著、柳下毅一郎訳、白水社)のひっくり返りそうになるエピソード、 「すべては一九八八年の夏の夜、ハンブルクのヨーロッパ選手権準決勝でオランダがドイツを2対1で破ったときにはじまった。オランダのおとなしい国民は自分でやったことに驚いた。人口の六割、九百万人のオランダ人が表に出て勝利を祝ったのだ。火曜日の夜じゅう、街は第二次大戦の解放以来最大の人出に湧いた」(同書、第2章「欧州フットボール」より) を思い出さないわけにいかなかった。数万人規模の尖った声援が、歌が、波のように広がりスタジアム全体をおおいつくす。普段のエール・ディビジ(オランダ・リーグ)戦と比較ができないので、早計な判断はできないが、ナチスに焼かれた街で「今、現在、ヨーロッパのフットボールで最大の遺恨試合と言えばオランダとドイツだ」(同書)を見ている実感である。数百人ほどのバイエルンサポーター、すなわちドイツ人がゴール裏の鳥カゴのように厳重に守られた一区画で、負けずにやり返している。 試合はエウベルに決められ(13分)、0対1で進むが、ファンホーイドンクが鮮やかなボレーシュートで同点(38分)、更に前半終了間際、トマソンがひとつトラップしてズドーンと決め(45分)、フェイエノールトのリードで折り返し。もう、このときのスタジアムの状態っていったら「大阪夏の陣と冬の陣を足したくらい(知らないけど)」であった。ハーフタイムには皆、ウキウキで「今、見てた!? 凄かったよトマソン」なんてケータイで友達やなんかに電話するする。ハーフタイムにケータイで「勝ってるよーん」とか電話するのはオランダ人も同じだと確認した次第である。 ところが後半開始早々、又もエウベルに豪快に決められ(右ポストに当たって入る。50分)、2対2の同点。ここからフェイエノールト押し気味の攻防が続く。残り時間10分ほどになったとき、ついに小野伸二が投入され、その直後、僕はびっくり仰天することになる。「シンジ・オノ」、場内アナウンスと共に小野がピッチへ駆けてゆく。思わずガッツポーズで見送る俺。と、俺の座っていたブロックの、まわりのオランダ人が皆、こっちを振り返り、拍手をしてくれたのだ。けっこう向こうの方の人まで、ここに日本人が見に来ていると気づいていたらしい。とりあえずニッコリ笑って何度もうなずいてみせたが、嬉しかったなあ。それもこれも小野伸二が身体を張って頑張ってくれてるおかげだ。俺は日本人として誇らしかったですよ。 結局、2対2のまま試合終了。ただ内容には皆、満足している風で、ロッテルダムの皆には勝ち負けより大事なものがあったんだなと思う。上機嫌の「大柄いかれぽんち」に混じって駅から電車に乗り、中央駅へ。そこから乗り換えて11時40分過ぎ、アレキサンダー駅に戻る。倉敷保雄さんにおどかされてたフーリガンには出くわさなかったなあと想いながら、ホテルまでの暗い道をてくてく歩いていたら、突然、後ろから「フェイエノールト・ファンなの〜?」という軽薄な叫び声が、いやオランダ語だが、そう言ったに違いない声がした。 ふり返ると自転車こぎこぎやってくる20代の青年だった。 「フェイエノールト・ファンなの〜? あ、日本人。オノを見に来たの。英語わかる?」 「英語わかるよ、小野を見に来たんだ」 「あ、僕ね、(シャツの前を開けてTシャツを見せる、フェイエノールトのマークの入ったTシャツ)めっちゃファンなんだよ、ほらー」 「今日は勝てなかったけど、いいゲームだったね」 「マジそう、ホントそう。どこ行くの?」 「これからホテルへ帰るんだ」 「じゃ、乗ってく?」 いや、俺はこのとき、ホロッと来てしまったんだけど、自転車の後ろに乗ってかないかと彼は言ったのだった。オランダ人としては最大の好意の表現ではないか。俺、ひとの自転車の後ろ乗っけてもらったの学生時代が最後だ。乗っけてもらった。自転車専用のレーンをヤン君(という人だった)の自転車は行く。500mくらい行って、ホテルの前で「じゃあね、バイバイ」「バイバイ」と別れたけれど、俺はこの「自転車乗ってく?」には心底、まいってしまって、生涯フェイエノールトは気にしつづけようと誓ったのだった。 |

チャンピオンズ・リーグの入場チケット。けっこう豪華っす。
| 2001/10/11(木) |
| 移動日。ロッテルダム中央駅からアムステルダム・スキポール空港へ電車移動。その後、KLM機にてローマ・フィウミチーノ空港へ。アムステルダムで半端に待ち時間が出来たのでよっぽどゴッホ美術館へ行って来ようかと思うが、又、飛行機に乗り遅れたらスカパーの信用なくすのでKLMラウンジにて『南米蹴球紀行』。ラウンジのCNNはカブールの空港やテレビ塔への爆撃を伝える。夕刻、ローマ・テルミニ駅付近のマッシモ・ダゼリオに投宿。深夜まで原稿書き。 |
| 2001/10/12(金) |
| 予定のない日。朝食後、ローマ国立博物館&マッシモ宮。博物館は4世紀の浴場跡を利用した、歴史的なロケーション。ヴェネツィア広場、パンテオンと名所を見て、日本を出たときと気が変わる。やっぱ、こういう時期に警備とか見とかないと駄目じゃないかと思って地下鉄でヴァチカンへ。サン・ピエトロ寺院、システィーナ礼拝堂、警備全然大したことなかった。今回もノートとりながら見て廻ったんだけど、大英博物館以上のインパクトである。こんな鼻血が出そうな興奮はメキシコ行って以来か。 実は僕は『DIME』(小学館)で「イタリア人バカ世界一」騒動を巻き起こして、まあ、イタリアの『ラ・レプブリカ』紙とか、日本だと『朝日新聞』とかに載っかって以来、イタリアに複雑な感情を持っていて、訪れたの今回が初めてなんである。10年以上も前のことだけど、あのときの不愉快な感じがぬぐえないでいた。それを、こうやってたった一人で有無をいわせず、ポーンと放り込んで、電車に乗ったり電車に乗り遅れたり、歩き廻ったりするチャンスを作ってくれて、スカパーには本当に感謝している。これからはわだかまりなく、イタリアへ遊びに来れる気がする。今年は「俺におけるイタリア年」といったところですよ、まったく。 いったんホテルへ帰って休み、夜はローマ歌劇場へ行こうと思ってたんだけど、夕方、うちの奥さんから電話で田村奈津子さんが亡くなったと知らされ、つまらなくなってやめる。昨日のことらしい。何となく遊びに来ないかなと思って、窓際の椅子をこちら側に向けて空けておく。 |
| 2001/10/13(土) |
| 朝食後、サン・ルイージ・フランチェーゼ教会。ここはカラバッジョの3部作『聖マタイと天使』『聖マタイの召し出し』『聖マタイの殉教』を持っているところ。カラバッジョは俺がイタリアの画家で一番カッコイイと思う男。昨日もそうだけどローマは暑くて半そでがちょうどいい。 15時、スタディオ・オリンピコ、セリエA・ラツィオ×アタランタ。開幕からの不振で早くもゾフ監督を解任したラツィオ。ザッケローニ新監督の初陣(アウェイのACミラン戦)でクレスポ、ネスタ、ファバッリ、D・バッジオと負傷者が続出、いやもう、日本なら塩盛りでもするような御難続きである。今季まだ未勝利。日頃、人種差別やきわどい悪ふざけで物議をかもすことの多いラツィオ・サポーターも、この日は心配で矢も楯もたまらず駆けつけたといったところ。とうとう最後の試合か。ついに風邪もなおらなかったし(オランダであらためてひいた?)、一試合寝坊して見そこなったけど、とりあえずテロ&戦争がらみの中止がなかったのが助かる。 スタディオ・オリンピコはASローマとラツィオ共通のホームで、映像的には見慣れたところ。天幕のような屋根の中央が開いていて、青空がくっきり見える。ラツィオの青だ。そして、その色は今日、注目のC・ロペス(#7)、クレスポ(#9)の国、アルゼンチンのナショナルカラーでもある。本当は故障中のシメオネとトリオで見たかったなあ。代表戦も欠場していたネスタの穴は移籍の爆弾野郎スタム(#31)が埋める。まあ、欠場者は多くてもメンディエタ(#6)とかF・コート(#27)とかタレント揃いのラツィオだ。アタランタ相手ならスカッと初勝利といきたい。 試合開始早々、こりゃかなり力が違うと思わざるを得なかった。アタランタはいきなり下がって守り、タテに放り込むカウンター狙いである。ラツィオは一方的に攻める。フィオーレ(#20)が自分で持ち込んだシュート、C・ロペスがごちゃごちゃのなか崩れず打った左足のシュート、共にはずれるが、時間の問題という気がした。ただ逆に言うとあれだけ攻めて得点に結びつかないところが、今季のラツィオのつらいところ。 強行出場のクレスポは冴えがなかったので、僕は途中からC・ロペスをずっと見ていた。物凄い運動量の選手である。右サイドまで下がったかと思うと、突然センターを駆け上がり、そこにジャストで球が出た。左足一閃、美しいゴール(前半42分)。スタディオ・オリンピコは敢えて「イタリア人バカ世界一」と呼びたい大騒ぎ。 パルマの代表戦よかはるかに音量が大きい。スカパーでデータマンやってる金子尚文君がよくセリエAの会場風景について「サッカーへの愛」ということを言うんだけど、そんな感じがしたなあ。 後半感心したのは15分くらいからしばらくアタランタに持たせて休んでるんである。いや、休むというのは表現が悪いが、ラツィオはペースを変えた。後ろにはスタムが控えていて、非常に存在感がある。選手交代もこの時間帯に行われ、僕は1対0の逃げ切りより、ここで一度、体勢を立て直して攻めに転じる予感がした。 仕事をしたのは又も「とっちゃん坊や風の働き者」C・ロペスである。後半27分、左サイドから心のこもったナイスパス、これをF・コートがごちそうさまですと決め、2対0でラツィオ快勝! 今季初勝利にローマっ子たちは青空よりも晴れやかな気分に酔う。嬉しいんだ、嬉しいんだ、よかったなあ勝ったなあと、俺まで顔がほころんで来る。歓びの歌声はずっと続いて、とかく悪役にされがちなラツィオ・サポーターの純な一面をまっすぐ表していた。 この日、面白かったのは、僕は記者席に入れてもらったんだけど、イタリアの記者席って女連れの記者がいるんだ。球団広報の人と友達になると、まあ、そこら辺、ナアナアになるらしくって、肌露出させられるだけさせてるようなお色気ねーちゃんを何人かの記者が連れて来ていた。で、その一人が俺の真ん前だったんだね。これが試合中、チュッチュッチュッチュッ、いちゃつくいちゃつく。俺としては真ん前でチュッチュッだから、「チュッチュッ越しにしかC・ロペスが見えない」という現象になった。見ていて笑ったのはサッカーなんか全然興味のないお色気ねーちゃんに中年記者が鞄からマドリードの旅行ガイド本を出して渡したんだよ。これは10月24日、チャンピオンズ・リーグ、レアル・マドリード×ASローマの取材に不倫旅行を兼ねると見たね。 帰り道、自分で自分に感心したのは、来るときタクシーで来たから帰りの交通手段がわかんなかったんだよ。だけど野球忍法で、この人たちはクルマで来てるから駐車場へ行くなあ、この人は電車かバスで帰りそうだけどひょっとして郊外へ行くなあ、うーん、たぶんこの人たちの流れについてけばタクシーもあっちから来たことだし、市の中心部へ帰れるんじゃないか、というヨミがバッチリ通じたこと。ホントに自分が忍者でよかったと思う。バスと地下鉄で見事に帰りつく。帰りに適当に入ったレストランが旨かった。 |

| ラツィオ戦の入場チケット。「RADIO TV-SERVIZIO」用のものと書いてある。あと俺の名前、「Ichirou Enokiko」。 |