蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)


2001年03月分
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第2週

2001/3/4(日)
 明け方、このところジンマシンの発作が出るんだけど、そのせいで起きてしまう。持ってきた抗ヒスタミン剤を飲んだら落ち着いたけれど、このまま症状がひどくなったら午前中、日光市の休日外来へ行こうかといったんは考える。宿の人に聞いたらそういうときは「市民病院(昔の古河病院)」がいいそうだ。

 考えてみると日光市で一番大きな、そして市民に信頼されてる病院が「古河病院」から「市民病院」に名称や意味合いが変わったことは、Bucksとそっくりである。「古河電工アイスホッケー部」→「市民クラブ・日光アイスバックス」。「古河病院」→「市民病院」。面白いなあと思ってたら、たまたま持っていった『スポーツとは何か』(玉木正之・著、講談社現代新書)にこの現象をうまく説明したくだりがあった。

 「日本で企業スポーツという形態が発展したのは、先に書いたように、欧米型の地域スポーツ・クラブが生まれなかったからだが、それは、1955年以降、自由民主党が独占的に政権を支配した政府の戦後政策とも関係がある。自民党政府は戦後経済の復興策として大企業の育成を最優先させ、税制その他で優遇した。その結果、大きく成長した日本の企業に、本来政府が公的資金を用いて行うべきインフラストラクチャーの整備までも担わせた。芸術文化の振興や福祉事業への援助、グラウンドや体育館の建設等のスポーツ振興が、高度成長で余力をつけた企業の社員に対する福利厚生として(税金のかからない経費として)行われ、失業対策も過剰雇用という形で
企業が担ったのだった」

 眠れないで6時頃、日光二社一寺を散策、こんなにしょっちゅう日光へ来てるのに初めて見に来た。陽明門などは開門前なので見られなかったが、杉木立の枝から時折、雪がバサッと落ちる静寂をたったひとりで満喫。視界の端に「ハイビジョン映像」と、NHKがテロップを出しかねないものがあった。

 14時フェイスオフ、日光霧降アイスアリーナ、日光アイスバックス×西武。いや、ここまでのくだりが長くなったので簡単に行くが、この試合は反則にアヤのあった面白い試合だった。特に3ピリ、西武・ブライト(#77)が大きな反則をとられ、この試合はサヨウナラかと思ったら、同点延長で帰ってきちゃったときはヒヤヒヤもんだった。5対5で引き分け。まあ、勝てたゲームかも知れないが、Bucksは力いっぱい戦って今季最後の日光シリーズ、地元ファンにいいところを見せた。大熱戦。今回の「ぶらり東武線・湯けむり紀行(1勝1分温泉の旅)」は大成功のうちに幕を閉じました。



2001/3/5(月)
 22時、TBSラジオ『アクセス』出演。今日は小島アナが出演しているTBSテレビ『回復!スパスパ人間学』の撮影クルーがスタジオに。小島さんの姿勢をチェックするVTR取材の由。仕事とはいえずっと気配を消してるのはくたびれたろう。



2001/3/6(火)
 18時、上野、伊豆栄。『特選街』、佐藤文彦氏、阿部斉氏と打ち合わせを兼ねた会食。特選街出版は、マキノ出版という母体の会社から分かれたところで、そのマキノ出版こそ『壮快』、『安心』の版元なんである。佐藤さんは以前、『安心』編集部にいたそうなので、健康企画の御苦労などを興味深くうかがう。



2001/3/7(水)
 結婚記念日なので銀座のエノテーカ・ピンキオーリ東京店に予約を入れる。フィレンツェの本店は、かつてミシュランが三ッ星をつけたという高級リストランテである。ホウレンソウ入りタリエリーニ栗のクレス、赤キャベツとパンチェッタ、アンコウ&季節野菜とガーリックのイン・テガーメ。ワインも素晴らしく、妻もアニバーサリー・プレゼント(0.6カラットダイヤ2石のアンクレット)共々、喜んでくれた。

 というのは嘘で、原稿書けなくて泣きそうな一日。結婚記念日、外食しなかったの初めてだなあ。中華の出前を頼んで、勝沼ワインでお祝い。プレゼントなし。そんなことよりそろそろ俺の胸ぐらつかんで首がもげるまでぐらぐら揺らしたそうな編集者が何人かいる。申し訳ない、うちの奥さん。列の後ろに並んで、胸ぐらつかむ順番を待つように。



2001/3/8(木)
 『ベストセラーの戦後史2』(井上ひさし・著、文藝春秋)を読んで、昭和30年代の浅草で活躍したという易者・高島呑山(どんざん)先生に大笑いする。井上ひさしさんは当時、四谷の文化放送と同じ敷地に建つカトリック系学生寮(寮は不明だが基本的な立地は今もそのままである。文化放送の社屋は教会を改築したもの。大家さんなのか敷地の売買のカンケイか知らないが、その教会は文化放送の株主にもなっている)の貧乏学生で、生活費を得るため浅草フランス座の学芸部員をしていた。しかし、それもクビになり、行きつけの喫茶店のマスターの紹介で何と呑山先生に弟子入りする。

 井上さんの仕事は占いのお客さんに待合室でお茶を出す係なのだった。お茶を出しながら住まいや悩み事をそれとなく聞きだし、情報収集につとめる。

 「この間、待合室から一歩も出ずに、常に客とともにいることが肝要である。やがて頃合いを見て、先生が二階の十二畳で銅鑼を打つ。そこで客を二階に案内し、座布団をすすめ、もう一度お茶を差しあげる。このとき、暗号を用いて先生に待合室で収集した情報を伝えるのである。たとえば座布団であるが、角の房がひとつだけ短くしてある。客に座布団をすすめながら、短い房を東西南北のいずれかへ向けておく。何気なくそれを見ておいた先生は、ムムムとひと唸りして開口一番、
 『東からおいでになった。そうじゃありませんか』 
と宣う。(中略)暗号はまだまだあって、部屋の隅の茶箪笥には模様のちがう茶碗が十二口ほど用意されている。さらにてんでばらばらの茶托も十二枚。<童子遊戯図模様と丸い溜塗の茶托の組合せは、建築>、<萩焼と四角の黒漆の茶托の組合せは、試験>…というように百五十種近い発信が可能である」

 最近、NHKの『プロジェクトX 挑戦者たち』が話題になっていて、大の男があれを見ておいおい男泣きしている。いや、僕もよく見るし、あれはあれでいいんだけど、例えば高島呑山先生の職業上の挑戦である。このノウハウを獲得していく様を映像化できないものか。世の中にはあんな立派な話じゃなく、まあちゃっかりしていて、しかし、バイタリティと生きる知恵にあふれた人たちがいる。あるいはほんの思いつきで世渡りしてる人とか。今、この不況下で必要なのは呑山パワーである。田口トモロヲのナレーションと中島みゆきの歌はパクろう。民放でどうだ!?



2001/3/9(金)
 19時、東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル、N響コンサート。招待券をいただいたので、指揮者の物マネ芸で知られる音楽芸人、好田タクトさんを誘う。おかげで僕は好田さんの解説つきですんごいトクだった。

 指揮:ロレンス・フォスター
 ヴァイオリン:堀米ゆず子
 
 ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
 プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調
 ブラームス:交響曲第2番ニ長調

 好田さんも言ってたけどプロコフィエフが良かった。堀米ゆず子の鮮やかさといったら、斬れ味のシャープな「腕のたつお侍さん」みたいだ。NHK交響楽団はやっぱり弦が綺麗だなあ。コンサートの後、オペラシティのビアホールで話し込む。



2001/3/10(土)
 10時45分、サントリー東伏見アイスアリーナ、アイスホッケー集結戦。いよいよ第35回日本リーグ公式戦も大詰め、今日と明日を残すのみである。東京のファンにとって最後のお楽しみは6チーム集結戦。1枚のチケットで3試合全てが見られ、会場も出入り自由なのでアリーナ前広場のサイン会や出店ものぞける、まあ、お祭りみたいな企画。

 第1試合(11時フェイスオフ)、日本製紙クレインズ×日光アイスバックス。これが凄いゲームだったんだよ。2対2のまま両軍譲らず、サドンデスの延長Vゴール、びっくりしたなあ絶体絶命、4人対5人のキルプレーでカウンター速攻だよ。3対2。リーグ成績は既に最下位が確定しているBucksだけど、これで通算10勝め。何しろ去年、3勝のチームだからさ。存続へ向けて2ケタ勝利は大きなアピールになるよ。ゲーム・ベストプレーヤーはもちろん決勝点を挙げたロバート・ミワ(#9)。

 第2試合・コクド×雪印、第3試合・西武×王子製紙もそれぞれクロスゲームの熱戦で、俺、結局、8時間半くらい東伏見にいた計算になる。これがどのくらい凄いかというと友人の永井さん(東伏見在住)が、第1試合の勝利を見て、それから東京ドームのFsオープン戦を見て、第3試合の2ピリに帰ってきちゃったくらいの時間経過だ。いや、半券持ってると会場出入り自由だからねえ。あれは笑った。




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