蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)
| 2000年11月分 | |||||||
| 第3週 | 11/12 | 11/13 | 11/14 | 11/15 | 11/16 | 11/17 | 11/18 |
第3週
| 2000/11/12(日) |
| 月曜〆切の原稿を書く。原稿につまるとハンモックで昼寝するか海辺まで散歩、浜の草むらに黒い牛がいてなかなかいい風情。牛はインドでは聖なる動物だ。ホテル名に冠された「フォート・アグアダ」(アグアダ砦)というのは植民地時代の歴史的建造物で、海岸の突端にせり出したレンガ製の要塞。インドの観光資本、タージ・グループがそのロケーションをとり込んで高級リゾートホテルを経営している。 今日、午前中に読んだ『インドの大地で』(五島昭・著、中公新書)という本に「インドは7億国民がいて、所得税払ってるのは約4百万人」という記述があって卒倒しそうになった。85年のデータで今はどうかわかんないんだけど、インドの所得税は免除限度額が年収1万8千ルピー(同書によると当時約36万円、今だと5万円切る)なんだって。つまり、それ越してる人がたった4百万人だったらしいのよ。人口の1パーセントいってない。五島さんは毎日新聞の特派員だった人だから本当だと思うな。そういうことでもやっていけるのか、国って。 |

涼しい風がヤシの木陰を渡ってゆく。
| 2000/11/13(月) |
| 午前中はプールと読書。午後からはタクシーで近くのパナジの街へ出かけて「A.F.GOA」のサッカージャージ等を購入。運動具店にクリケット用品が充実してるのに感動。TVの中継もサッカーとクリケットが中心。 パナジの街で次に泊まる宿を予約しました。 インド旨い。大変なもんです。 いや、大概インドって「悠久」とか「神秘」とかそういう話でしょう。僕は旨い国だと思うな。これバックパッカーとか仏教好きに占有させとく手はないよ。安い店も高い店もそれぞれに旨い。こんなにカレーにバリエーションがあるのか。サモサもチャパティも東京の有名店よか町の食堂の方が旨いとは。これ食文化、一筋縄でいく話じゃないすね。大変なもんです。 パナジの街からオートリキシャで帰る。夕暮れの密林みたいなところをガタガタ帰る。道の真ん中にしょちゅう牛が立ってて、オートリキシャはそれをすり抜けて進む。ホテルに帰ってからアグアダ砦の突端へ行って、暮れかかって闇になる一歩手前くらいの海を眺めた。アラビア海、すんげえカッコいい。 |

キャプション不要のアラビア海夕景。
| 2000/11/14(火) |
| 今日も快晴。気温は日中で30度とちょっと。 FBIコミュニケーションズの今井さんのレンラクによると東京は寒いみたいだな。あと文鳥堂原宿店の真向かいにでっかいブック・オフがオープンしたらしい。大丈夫なのかナカジマ!? もう一本、原稿書かなきゃいけないんだけど、全然やる気が起こらない。半日、ビーチで過ごす。今日初めてインド人の女の子が水着を着てるのを見た。何かインド人女性ってあんまり肌をさらさないんだよな。美人が多い。ただリゾート客の大半は年配の欧米人。日本人は全然いません。 |
| 2000/11/15(水) |
| お世話になったフォート・アグアダ・ビーチリゾートをチェックアウト。 アンジュナ・ビーチのフリーマーケットへ行く。アンジュナ・ビーチはヨーロッパからの長期滞在者が多いところで、一泊60円くらいで民家(電気なし)が借りられる。かつてヒッピーの聖地と呼ばれたゴアの面影があり、フリーなかんじの若者多し。 ヤシの木の生い茂った通りにインターネットカフェを多数見かける。パソコン文化がそもそもヒッピーカルチャーの直系であったことを思い出した。 フリーマーケットは日本のものとは全然異なる怪しいバザールであった。 インドシルク、木彫りや石の民芸品、Tシャツ、楽器等を商う人が天幕を張った下で無数にうごめいている。その向こうには延々、露天商のゾーンが続く。分け入ると「牛に身体を踏ませながら笛をふく芸能の人」がいて笑った。僕は買い物よりこういう見世物の人が嬉しく、ばんばん見せてもらってお金を払う。「コブラを見せる人」の本物も初めて見た。本当にいるんだなあ。コブラは間近で見るとギョッとする迫力だ。ギョッとしてるとまわりの物売りが近寄ってきて「ディス・イズ・コブラ」「ナイスコブラ」とサクラ役みたいになるのが楽しかった。ナイスコブラって言われてもなあ。あと「頭の上に火の輪をのっけて嫌そうな顔でつなわたりする少女と、その下でまったくやる気のないタイコを叩く弟、という芸能」も感じ入った。お父さんはお金の交渉役でノリノリ。吉田戦車のマンガを連想する。 |

一番右のおじさんは関係ないのだがシャッターを押すときすーっと近寄って来た。

ディス・イズ・ナイスコブラ。

つなわたりの少女とタイコの弟。
| アンジュナ・ビーチでは日本人の若者を見かけた。あと物売りが「ジャパン、コニチワ」「アケマシテ、オメデトウ」「ワタシハ、オナラチャンピオンデス」とか誰に教えられたのかわからない、でたらめな日本語で話しかけてくる。何人かに話を聞いたが、皆、インドのあちこちから行商に来ている人で、まあ、今、ゴアはシーズン真っ只中だから金になるのだろう。 午後、パナジの街で予約しておいたホテル・マンドヴィにチェックイン。マンドヴィ川に面して建てられた古いホテル。夕方から散策に出るが、ポルトガルの植民地だったせいで酒屋が多い。インドは宗教の関係で酒をあまり大っぴらにたしなまないようだが、ここはポルトガルの荒くれ船員たちが数百年にわたってぐでんぐでんに酔っぱらってきた街だ。町の時計屋で「設定時刻になるとシヴァ神をたたえる歌が流れだす目覚まし」を購入。マンドヴィ川の夕景は海とは又違った趣きがある。 |
| 2000/11/16(木) |
| タクシーでマンドヴィ川をさかのぼり、オールドゴアの町に。ゴアは1510年、ポルトガル艦隊が占領して以来、451年間にわたってポルトガルの東方拠点であった。オールドゴアはリスボンを模した街だったというが、疫病の流行などで見捨てられ新しいパナジの街が作られたといういきさつらしい。 セ大聖堂、アッシジの聖フランシス教会、ボン・ジェス教会などが残っている一角だけが当時をしのばせる。ボン・ジェス教会には日本にもなじみの深い人物の遺体が銀のひつぎに眠っている。聖フランシスコ・ザビエルである。ザビエルはゴア経由で日本へ来たのだった。日本での布教を終えた彼はいったんゴアに戻り、それから中国へ向かおうとして病死した。後に聖人に列せられている。 驚いたことにザビエルのミイラ化した遺体は10年に一度、一般公開されているらしい。僕は絵ハガキを買いました。近くにヴァスコ・ダ・ガマと呼ばれる町もあり、世界史の勉強のよう。ちなみにガマはザビエルの同時代人で、パナジから南へ下ったケーララ州コーチンという街で亡くなっている。 |
| 2000/11/17(金) |
| とうとうゴアを離れる日が来た。ホテル・マンドヴィをチェックアウトして密林のなかをダボリム空港へ。そこから空路、ムンバイ経由でカルカッタへ。インドの国内線、ジェット・エアウェイズの機内食はもちろんカレーなんだけど「ベジタリアン」「ノン・ベジタリアン」に分かれていて、通常「チキン・オア・ビーフ?」と訊かれるところを「アーユー・ベジタリアン? ノット・ベジタリアン?」とスチュワーデスさんに尋ねられる。 インドは宗教の関係でベジタリアンが物凄く多い国だ。パナジの街にも、その名も「ピュア・ベジタリアン・レストラン」なんて店があった。どんな食堂にもベジタリアン・メニューがあって、これが僕の調査した範囲では下手に肉入ってるより必ず旨いんだな。大変よく工夫されている。日本のカレーショップの現状は「ポークカレー」が一番安くて、「ビーフカレー」「ハンバーグカレー」「カツカレー」等が上位にあり、何か肉っぽいもん入ってなきゃならないきまりだ。家庭でも肉なしカレーだった場合「お母さん、肉どうしたんだよぉ」と昌彦(仮名、30過ぎて独身)がダダをこねるだろう。日本に「ベジタリアン・カレー」が定着する日がカレー界第2の黒船であろうか。 今日『インドで考えたこと』(堀田善衛・著、岩波新書)を読んでたら、これは1957年に初版発行の名著だけど「インド三億六千万の人民」というフレーズが出てきた。80年代の五島昭さんの本では「7億国民」だ。で、今は10億突破している。この10何年で日本の全人口より大幅に増えた。 堀田善衛が第1回アジア作家会議の為にインドに滞在したのは56年の晩秋から57年の年初である。僕が59年生まれだから、まあ40年ちょっとの間に人口はそういうことになったらしい。一方で外国旅行の自由化や高度成長、オイルショック、バブル経済とその崩壊と日本にも色んなことがあったと思うのは、こんなくだりを読むときだ。 「私はどんな意味でもインドの悪口をいいたくない気がする。(中略)しかし、こと食い物に関しては、どうにもこうにも私はその気持を押し通すことが出来そうもない」 「とにもかくにも概念がまるっきり違うのである。古い国には必ず美味あり、というのが私の信念ではあるにはあるのだが…。そして、あれらの料理―あれがいったい料理というものであるのだろうか、と私は考えざるをえなくなるのだが―、あれらの料理は、あれなりに彼の国に於ては香料、香辛料の数々によって趣向を凝らした、すばらしいということになっているものなのではあるのだろうが…。」 「その山盛りの米の上へ、にゅうっと腕がのびて来て、どす黄色いカレーと、どす黒いようなどす赤いような羊肉のまじったものがかけられた。これはえらいことになったな、と思っていると、更にもういちど、今度は深紅色の、見るからに脳の皮から汗が吹き出しそうな、たっぷりとした液状トンガラシに浸した肉片が覆いかぶさって来た。(中略)仕方がない、私はスプーンとフォークをあやつって、ひっかきまわし、灰色と紅がまざりあって、遂にどす黒くなったものをひとくち、口に入れた。そして思い切って嚥下した、それは、もう辛いなどというものではない。頭のテッペンから汗が吹き出すような気がした。気も遠くなりかけた」 (『インドで考えたこと』より) 堀田のいう「まるっきり違う」概念を僕はエスニック・ブームとか、そういうことで当たり前のこととして受け入れている。僕もひと口食って「気も遠くなりかけ」たりしているが、それは素晴らしく旨いからだ。堀田のインド料理の描写からして、もう旨そうに思えてならない。たった40年やそこらでこんなに日本人の舌が変わったのだ。そして、どうやら「旨い」という判断には「わかる」という事柄が含まれているらしいと考えさせられた。 |
| 2000/11/18(土) |
| 昨晩、うちの奥さんがほとんど徹夜で上げた原稿(パンフレットの仕事)がメールで送れない。朝になってFAXを頼んだらこれもダメ。ほとんどパニック状態の奥さんと一緒にホテルのビジネスセンターへ行ったり、町の電話屋(電話貸しやFAXサービスの店。いわゆる公衆電話は街頭に見当たらない)を何軒も廻ってモジュラージャックつなげてもらったり、大変だった。 まあ、そんなことで半日がつぶれたけど、おかげで町の探検ができて面白かった。カルカッタは確かにインド西部と人の顔が違う。都会的ということもあるだろうが、やはりベンガル人が多いということか。鼻が高くて立派な顔。あとカンケイないけど辛いカレーが多い。街並は露店が物凄く多くて、感心したのはアイロン屋さん。いや、テーブルを道に出して頼まれたシャツやなんかにアイロンかけてる露天商だ。 夕方、何とかFAXがつながって、ホッとひと安心。 土曜なので地下鉄に乗って映画を見に行く。 食事をして、21時からの回まで時間があったのでエスプラネード駅付近を散策、超豪華ホテル、オベロイ・グランドにおっかなびっくり入っていったら、とてつもない金持ちがプライベートパーティーやってて肝をつぶす。ウルトラ仕立てのいいスーツ着こなした人がいる。女の人はみんなお姫さまみたいな美人。超豪華サリーってすんげえ綺麗だ。そんでホテルを一歩出ると物乞いのおばあさんが舗道に寝てるんだもんなあ。 |