蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)


2000年7月分
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第4週

2000/07/16(日)
 今日の鎌ヶ谷はマジ暑かった。13時プレイボールで日ハム×西武戦。1軍の試合(福岡ドーム)をテレビ観戦という手もあったが、やっぱ生の野球優先でしょ。生の野球を野球というんであってテレビ中継はあくまでテレビ番組。

 それにしてもマジ暑かったー。鎌ヶ谷ファイターズ球場はまわりが梨園で成育に変調をきたす可能性がある為、ナイター設備がない。8月13日もきっと暑いぞー。Tシャツ汗だく。熱気で頭ぼーっ。最上段の通路んとこに立つと風が来るのでずっと立って観戦。文鳥堂ナカジマやRC、ビッグダディ新井も暑さに耐えきれず立って観戦。

 試合はリードされたFsがじわじわ追いかける展開。西武は横田とか木村といった懐かしいとこや、あとディアスとか、小刻みな継投でかわしてくる。今日は森本稀哲がスタメンじゃないのでちょっと残念。あと石本は頑張ってるな、しばらく見ぬ間に真っ黒に日焼けしている。2軍の選手じゃないんだけどな。7回裏、西の犠牲フライで2対3に追いついたところでタイムアップ、後ろ髪をひかれる想いで皆に別れを告げる。

 実はそんな汗だくになってるけど、俺、18時から新浦安オリエンタルホテルで結婚披露宴だった。Redcapsの名取孝彦君(浦安郵便局勤務、愛称ポストマン)、新婦の美紀さんおめでとう。ファイターズ球場の医務室を貸してもらってTシャツ、短パンから礼服に着替え。汗も落としてスッキリ。ヒゲまで剃ってスッキリ。

 鎌ヶ谷から浦安まではナビがすごい役に立った。
 いやあ、俺、間違ってたな、こりゃ便利だカーナビ。すいませんでした、うちの奥さん。

 実になごやかな披露宴。郵便局の人のスピーチが素晴らしかった。僕も一応祝辞を述べたけれど、ごまかしスピーチ。あんな本物には到底かなわない。

 浦安からナビの案内で高速を使わずに帰ってみる。40分くらい。案外近いじゃんか。こりゃ便利だカーナビ。ありがとございました、うちの奥さん。

 帰宅後は皆既月食をじっくり観察。10時過ぎからが凄かった。けっこう欠けていくペースが速い。双眼鏡で見ると、すっかり欠けてしばらくは右上の方が青白いかんじで、下が赤茶色だったが、ついに完全な赤茶色の丸になる。月がなくなるんじゃなくて赤い月なんだ。12時前、逆側が光を放ち、確かにこりゃ地球の影なんだなあと感心。影の形から見て本当に地球は丸い。前回は江戸時代末期、次回は120年後か、凄いよねえ。



2000/07/17(月)
 関東甲信と東海で梅雨明け。
 TVKで東海大相模の初戦を見る。シード校なので2回戦からのスタートだが、対戦相手が何と藤嶺藤沢である。決勝戦といわれても納得の強豪対決。
 
 東海大相模はもちろん春夏連覇が目標だが、実は夏の甲子園に20年以上出場していない。昨年は藤嶺藤沢に敗れているのだった。エース、筑川の成長に期待して見たが、出来はまずまず。5対1、完投で初戦を飾る。主砲、今森が保土ヶ谷球場場外へ消えてゆくホームランを放った。しかも低めの球。

 ナビが嬉しくて夕方、ららぽーとへ買物に出かける。それはともかく帰り道、音声入力にして「自宅へ帰る」と言ったらナビの女(合成音女。一応、ナビ子と呼ぶ)が、「徳島県のどこですか?」と言いやがった。俺は千葉県の船橋から四国までクルマで帰るんか。仕方なくリモコン入力したらナビ子は東関道使わず、京葉道路も篠崎で下に降りて、有料道路代100円(錦糸町まで行くと別料金がかかる)で済ませやがった。ケチだ、ナビ子。



2000/07/18(火)
 18時15分開始、日ハム×近鉄戦(東京ドーム)。借金生活に入ったFsがオールスターまでにどこまで5割に近づけるか。今日はファンクラブの招待デーで内野指定席チケットがもらえたので、たまにはどうかなと思い、実家の父を誘う。

 父は昭和20年代、1リーグ時代の巨人×南海(後楽園球場)を見て以来、律儀にジャイアンツファンを続けている。パリーグの試合を見るのは初めてか、まあ、初めてじゃないとしても20年や30年ぶりってとこだろう。客席がガラガラなので驚いていた。

 そしてFs先発の下柳が1アウトもとれず、5点失って早々と降板し、かと思ったら片岡2ラン、野口ソロであっという間に3対5になったので又、驚いてた。父さん、これがパリーグの野球です。僕はいつもこういうのを見てるんです。3対9まで点差が離れ、そこから9対9に追いついた。

 5回裏が終わってYMCAダンスが始まったのが21時頃。今日は4時間ペースの長い試合だ。7回表裏が終わって両軍チャンスをつぶし合ったところで父帰る。菊池寛。

 笑ったのは放送作家の近澤さんが、最初東京ドームへ来て下柳が吉岡に3ラン喰らったのを見て、こりゃ駄目だと神宮球場へ行き(彼は中日ファンでもある)、神宮が21時頃終わって、QRを確認したら同点になってまだやってるのでもう一度、東京ドームへ帰ってきやがったこと。

 あと原宿文鳥堂・ナカジマは仕事終わって帰ろうと新宿駅にいて、ケータイで試合経過を聞いて、そのまま逆方向の中央線に乗って9回表にたどり着きやがったのも滅茶苦茶だ。

 運命の9回表、伊藤と厚沢が2ラン仲良く1発ずつ浴びて、裏は大塚出てきちゃって結局9対13という、わけわかんない試合。父さん、これがパリーグの野球です。父さん、いいところで帰りましたね。僕はいつもこういうのを見てるんです。

紹介しよう、左が榎戸陽一、右が榎戸一朗、真ん中にいるのが松田優作事務所(オフィス作)のBJだ。BJは『LIVE』ってフリーペーパーの編集長なんだぜ。



2000/07/19(水)
  19時開演、サントリーホールの読響コンサート。
 今夜は佐渡裕の指揮でフランスの佳曲・名曲を大特集しようという趣向。

 【デュカス】
バレエ音楽<ラ・ペリ>から「ファンファーレ」

 【デュカス】
交響詩<魔法使いの弟子>

 【オッフェンバック】 
(ロザンダール編曲)バレエ音楽<パリの喜び>から

 【ベルリオーズ】
序曲<ローマの謝肉祭>

 【ドビュッシー】
(ビュッセル編曲) 小組曲

 【ビゼー】
<カルメン>組曲 第1番&第2番から

 佐渡裕はフランスに渡って8年、コンセール・ラムルー管弦楽団の首席指揮者を務めるなど大活躍、数々の賞にも輝き、すっかり男を上げた。「パリの4大オケを制覇した男」が手の内に入れた十八番をどう響かせるか。読響機関誌『オーケストラ』のインタビューで佐渡はフランスのオケをこう語る。

 「フランスのオケは、音圧があまりありません。またリズム感なんかは、決して軽くはないんです。それと縦の線より横の線。メロディーと、フレーズ感と色彩感を、オケと指揮者がいっしょに感じたとき、はじめてフランスのオケのいいろころが発揮できます」

 この「縦の線より横の線」という感覚が実によくわかるコンサートだった。アルブレヒトが指揮してブルックナーやベートーヴェンを演るときと同じオーケストラとは思えない。色彩感のきらめきに満ちた音楽。佐渡はオーラスの<カルメン>第1組曲「闘牛士」の最初のアクションで指揮棒を放り投げてしまい、以降を棒なしでやる。アンコールではスペアを持ってきた。

 大満足でサントリーホールを出たのが21時頃。近鉄戦は試合時間が長いからと思ってケータイで確認すると、「今、7回、6対3で勝ってます」とのこと。
最近、勝ち試合見てないので急遽、地下鉄南北線で東京ドームへ。もうチケット売場も閉まってるけど、あいにく俺はシーズンチケット持ってるからな。

 球場に飛び込んだら9回表、7対3で勝ってる。抑えのミラバルがマウンドに。あとアウト3つか。仲間の席へ駆け込んだら皆、あきれていた。だけど俺は上機嫌。イエーイ、イエーイ、ミラバルー。そうしたら何としたことか、近鉄、藤井彰人選手のファウルボールが俺のところに。Bu、31番からRc31番へボールのプレゼント。こないだのFs野口に続いて又、捕手のファウルボール・コレクションだ。何ていうのかな、こういうのも「代わったところに打球が飛ぶ」みたいなことか。俺、9回の守備固め?

近鉄・藤井選手のファウルボール・オン・ザ・花びん。
モニターはGAORA再放送、9回、その打席。



2000/07/20(木)
 今日、びっくりしたのは「二子山」である。
 ’96年11月に行われた第四回春日井シンポジウム「渡来人と渡来文化 ―尾張・美濃とその周辺―」(主催/春日井市・春日井市教育委員会・春日井シンポジウム実行委員会)をまとめた『渡来人』(森浩一、門脇禎二・編、大巧社・刊)という本を読んでたんだが、九州大学の西谷正教授の基調講演にこういう記述を見つけた。

 「日本では春日井市にあります二子山古墳をはじめとして、○○茶臼山とか、○○車塚とかいうように前方後円墳を昔から「車塚」「二子山」「二子塚」「茶臼山」「茶臼塚」などと呼んできました。韓国の場合はそれを長鼓山(チャンゴサン)とか、長鼓墳(チャンゴブン)という言い方をしています。韓国の伝統的な楽器で、真ん中がくびれて両方が大きくなっている長鼓(チャンゴ)と、形態が似ているところから長鼓山古墳あるいは長鼓墳と呼ばれています。」

 そうだったのか、「二子山部屋」は「前方後円墳部屋」か。
 面白いなあ、学校の勉強と違って何で大人になってからの勉強は面白いんだろう。朝鮮半島の前方後円墳は西南部、かつての百済の地域に存在してるそうで、不思議なのはいずれも大体5世紀後半から6世紀前半、日本の前方後円墳よりずっと新しい時代に作られてるらしい。

 つまり、僕らは固定的なイメージで渡来の先進文化が一方的に朝鮮半島から日本列島にやって来たとばかり思っているけど、逆の流れもあった、それくらい密接な交流、関係性が存在したということのようだ。



2000/07/21(金)
 曙、名古屋場所13日目で早々と優勝を決める。
 実に19場所ぶり、久々の賜杯ということになる。
 花道をひきあげるとき、目にうっすら涙を浮かべていた。下半身の強化、今場所の充実ぶりはのその一点に尽きる。

 突き押し相撲で上位を張るのは難しいという評価があって、今場所の千代大海がまさにそういう感じだった。
 大関昇進前と比べて思いきり行く魅力が半減している。曙のふっきれたような相撲と対称的だった。

 曙は思い出深い力士で、まあ、結婚披露宴に出席したということもあるけれど、深川時代、散歩コースにしていた富岡八幡宮の境内に大相撲横綱碑、大関碑があり、ちょうど横綱昇進の時期と重なった。石碑に彫り込まれた文字を奥さんと二人で見に行ったんである。若貴ブームの頃は完全な敵役だったけれど、性質が純な男だと僕は思う。

 低迷&休場の時期は、自分が何故相撲をとっているのか、モチベーションが見出せない風であった。家族を持ったのが大きいのかも知れない。10回目の優勝は以前のものより意味が重い。再起するのはそれくらい難しいことなんだ。



2000/07/22(土)

しりあがり寿さんの新刊情報、今度は『女装社員 薔薇のヴァネッサ』(マガジンハウス)だ。




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