蚊の無駄にでかいやつであるガガンボ
(イラストは本文と関係ありません)


2000年6月分
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2000年6月 第3週分はこちら!



第4週

2000/06/25(日)
 起きたら14時で愕然とした。
 しばらくパニックに陥る。7時頃寝たんで嫌な予感がしたんだ。今日は13時半プレイボールで、13時20分に東京ドーム22番ゲートで宇都宮の平岡ファミリーと待ち合わせをしていたんである。平岡君は中学の同級生で昔のアダ名は「ちんねん」。しっかし、午後でも寝過ごす身体になっちまったかなあ。こないだまで朝のラジオやってたんだけどなあ。

 平岡だけならまだしも、奥さんと子供2人をずっと待たしてるかと思うと生きた心地がしなかったんである。

 Fs球団のタジマさんのケータイに電話して、とりあえず平岡ファミリーを球場内に入れることにする。僕がたどり着くまでの間、とりあえずFs打線が接待してくれるだろう。

 ダッシュで東京ドーム入り。もうエルビラは投げてなかった。Fs打線、見事な接待ぶりで7対2でリード。俺は平岡ファミリーに平謝り。そうしたらそこから大乱戦にもつれ込み、最終的には10対14のスコアで負けちめいやんの。何だよ〜。9回トドメ、中村紀洋のウルトラ強引な3ランにはめまいがした。その30分くらい前、平岡が「せっかく来たんだから、中村のホームランも見たいな」と小さな声で言ってたんである。
 いや、平岡としては近鉄を応援する気持ちはなく「オバンドーのホームランが見たいな」と同レベルで言ったことだった。オバンドーは見事、18号2ランを放ち平岡を接待した。まさか中村紀までリクエストに応じるとは。

 今日は投票日なのでドーム出入口に設置された「2000サンヨーオールスターゲーム投票箱」にてファン投票を行う。僕は組織票には加担しない主義で、毎年、12球団の選手が必ず一人は入るように考えて、清き一票を投ずる。今年はこのようになりました。

 パ

投 小野(M)
捕 野口(F)
一 小笠原(F)
二 金子(F)
三 中村(Bu)
遊 松井(L)
外 イチロー(Bw)、柴原(H)、福浦(M)
DH オバンドー(F)


 セ

投 バンチ(D)
捕 谷繁(YB)
一 ペタジーニ(S)
二 木村拓(C)
三 岩村(S)
遊 東出(C)
外 鈴木尚(YB)、松井(G)、新庄(T)

 今年のポイントはパのサードを片岡とせず中村紀にしたことだなあ。片岡、得点圏打率は抜群だけど、ここへ来てようやくエンジンかかって来たかんじだからなあ。ホントに難しいところだけど、敢えてどっちかを選ぶとなると中村の怪物性に今年は一票。片岡、後半戦頑張ってくれ〜。

 試合後は平岡ファミリーを案内して後楽園ゆうえんちへ。何かのイベントでコスプレの人が大勢いてくたびれました。



2000/06/26(月)
 夜、ホテルオークラ平安の間にて『Number』創刊20周年記念パーティー。この手の催しが苦手なので滅多に顔を出さないんだけど、ひょっとしたら江夏豊が来るかも知れないと思い、出席のハガキを出した。
 残念ながら江夏は姿を見せなかった。ラモス、北澤、小谷実可子、青島健太といった顔ぶれを見かける。
 
 質の良い評論、ルポルタージュを掲載し、この国のスポーツジャーナリズムの新たな地平を切りひらいた、というほかに『Number』は様々な事情で突出し、ハミ出してしまったアスリートを救ってきたと僕は思う。
 多摩の一本杉球場で江夏の引退式を主催したのもそうだったし、刑期を終えた彼を評論の世界に引き戻したのも『Number』だった。山崎浩子は『Number』がなかったら未だに宗教がらみのイメージをひきずってるだろう。野茂や中田や武豊が海外へ出ていったのも理解者としての『Number』あってのことじゃないか。そして今、千葉すずにも同じことが言える。20年の間に『Number』が果たした役割は大変なものだ。

 しかし、考えてみると僕が商業誌に初めて書いたのは大学3年のとき、1980年の『宝島』だから、こっちだって「文筆生活20周年」である。うわー、20年もこんなことやってるのか。びっくりするなあ。



2000/06/27(火)
 梅原猛の『天皇家の”ふるさと”日向をゆく』(新潮社)をずっと読んで過ごす。ホントは仕事があるんだけどやめられないとまらない。梅原さんの本は『隠された十字架』『塔』なんかもそうだけど、推理小説みたいな面白さがある。

 今回は記紀の日向神話をフィールドワークで検証しようという主旨。おそらくは朝鮮半島から南九州へ、弥生時代の中頃以降渡ってきた皇室の祖先が、縄文人や海人族と交渉しながら力をたくわえ、乾坤一擲、東征の旅へ打って出、大和を征服するという記紀の記述が歴史ドラマとして浮かび上がる。森首相の言う「日本は神の国」の具体はこれ。まあ、ああいう発言にアレルギー起こしてるだけじゃつまらないだろう。神話は豊かな内容をたたえていると思った。

 猛烈に宮崎へ行きたくなった。宮崎に何故、「宮」の字がついてたのかも今回、初めて知る。なかなか九州へは簡単に飛んでいけないので、九州はFsに任せておいて(勝った。8対6。何と金村、関根、建山と先発級をどんどん注ぎ込む)今日はもう一冊、ムックの紹介。

 新聞広告で見て絶対買おうと思っていたアサヒグラフ別冊『関東学発見』を入手。これならすぐ行ける場所ばっかりだ。さし当たり埼玉県日高市の高麗神社へ行きたいと思う。武蔵国に高麗郡、新羅郡がつくられ、今も狛江市なんていう地名が残っていたり、関東は渡来人との関係が深い。



2000/06/28(水)
 午後、大雨のなかバスに揺られて、やるMAN床屋へ。マスターのムーミン佐藤さんと奥さんのなれそめを聞く。ムーミンさんは、静岡在住だった奥さんに毎晩9時25分きっかりに必ず電話したらしい。その上、手紙を毎日書いて、土日は郵便局が休みなので月曜に3通届いたという。やるなあ、ムーミン佐藤。私はこの史実を「平成のムーミンこっち向いて総攻撃」と呼びたい。それにしても電話は何故、9時25分か。

 帰りのバスを待つ間、鳥越、おかず横町の、商店街のひさしで雨やどり。Gパンびしょびしょになったけど盛大な雨粒が心楽しい。おかず横町で銀ダラとキュウリを買って帰宅、夕飯を充実させる。

 今日は色んなものが家へ届いた日だった。まず、練馬の野球忍者、山本徳仁さんから「辛味噌とボール」。山本さんは九段のお弁当屋さん「ら・ん・ち工房」の御主人で、元有名レストランのシェフ。サウスポーのピッチャーとしても草野球界で活躍しててイラストレーターのキムラタカヒロさんとバッテリーを組んでいる。辛味噌はコチジャン似の逸品。いずれインターネット販売を考えてる由。

 あとボールが意外だけど、これは「元大洋ホエールズ、若林憲一」とサインが入っている。さっそく日外アソシエーツの『プロ野球人名辞典』をひくと、甲府商業出身(堀内の5年後輩)の外野手で、'71年ドラフト6位で大洋に入団、'81年まで在籍して163試合、51打数10安打、1本塁打、5打点、6盗塁、打率.196という数字を残している。もんのすごくマニアックなサインボールが届いた。しかし、ライフタイム成績中、唯一のホームランを放ったときはどんなに嬉しかったろうとしばし空想してみる。こういうことが決定的だ。僕らはどんなに張り切ってもプロ野球で一本もホームランが打てないのである。必ずしもプロの世界で才能を花咲かすことがなかった若林選手はその感激を知っている。


こんな郵便物
 



大洋の文字がグッとくる


 ソイツァーミュージックから、こだま和文さんの新譜『FUNKY PLANET』(VICL-35155)。9月リリース予定のアルバムから先行シングルカットということらしい。物凄ぇ渋いダブ・ナンバー。やっぱこだまさんのトランペットは抜群だ。7月28日、FUJI ROCKへの出演を皮切りに今年はライブ・イベントに積極的に動く由。

 愛知県の立田川部屋宿舎から名古屋場所の新番付。敷島関は「力士生命が続くかぎり、毎場所、番付表を送らせてもらいます」と泣かせることを言って、律儀に約束を守ってくれる。今場所は東の前頭12枚目。一度は前頭筆頭まで行った地力の持ち主だ、体調を整えて巻き直して欲しい。



2000/06/29(木)
 15時、浅草ビューホテルにてNAVI、田村十七男氏の取材を受ける。今年の上半期をふり返る特集企画で、僕はスポーツ部門を担当。田村さんは以前、自動車誌の編集長をやってた人で現在はフリー、アイスホッケーのクラブチームに所属している。背番号は名前にちなんで「17」。明日から長野だかどっかで合宿らしい。30過ぎてそういう部活的ライフスタイルをとるのは、ま、僕も他人のことは言えないが、相当の変わり者だろう。非常に気が合う。

 だけどアイスホッケーって物凄い運動量だから僕のやってるスローピッチ・ソフトボールとは全然違う。何しろ野球やソフトボールって攻撃のとき、打者以外は全員椅子に座ってるという、まったく「攻撃」性のカケラもない種目だからなあ。世の中にはフットサルとかタッチラグビーとか、やってる人が沢山いて、ま、サッカーやラグビーそのものと比べると運動量的にかなり軽減されてると思うが、僕に言わせればハードなこと平気でやっている。

 今日、読みはじめたのは『ネプチューンの迷宮』(佐々木譲、新潮文庫)。古本屋で3冊200円くらいで買ったうちの1冊。ミクロネシアの小国を舞台にした国際謀略小説。アイスホッケーといえば、「序章二 トラック環礁 モエン島」に出てくる日系リゾートホテルの支配人は「ホテルの親会社のアイスホッケー・チームの出身で、選手生命が終わったあとにホテルマンとなった日本人」という設定。つまり、西武って含みだ。ま、大した登場人物じゃないが、そうなると釧路か苫小牧出身者が雪も氷もない南太平洋に単身赴任していることになる。わざわざ佐々木譲が書いたことだからきっと世の中にはそういう人もいるんだと思うが、大変だなあ、とストーリーには関係なく思った。



2000/06/30(金)
 18時15分プレイボールで日ハム×西武戦、松坂予告先発&フライデーナイト・フィーバー(内野C席が1000円)ということで平日としてはなかなかの入り。
 今日は0対1で負けはしたが、コクのある面白い試合だった。Fs36勝32敗1分け、L33勝28敗3分けとまずまずのところに位置している両チームだが、片や打力で投壊現象をどうにかごまかしてきたチーム事情、片や貧打線を守りの野球でカバーしてきたチーム事情。
 実に好対照なんである。

 試合は8回終了まで松坂がノーヒットノーランを続けて東京ドームは異様な雰囲気につつまれる。今季400得点を12球団一番乗りで達成した「ビッグバン打線」も復調なった松坂に音なし。
 今月、近鉄のエルビラがノーヒッターを達成したが、梅雨どきは投手の指先の感覚が湿度のせいでしっくり来るらしく、ノーヒッター等の大記録がけっこう生まれる。
 ところが西武も再三、満塁のチャンスを作るがタイムリーが出ない。制球を乱しがちの清水が残塁の山を築く。試合は進むがスミ1の1点だけ。

 ガマン比べである。
 野球の神様はチャンスを何度もふいにするとそっぽを向いてしまうことがある。
 ホームラン1本で同点というぎりぎりの状態で松坂は踏ん張り続ける。僕は松坂がノーヒッターを達成する予感も、終盤、四球でランナー出してあっけなく2ラン喰らう予感も両方していた。

 9回裏、松坂はこの日最速の150キロ台をマークする。しかし先頭打者、片岡が鮮やかなセンター前ヒット。ノーヒッターは夢と消えた。
 オバンドー、ライトフェンスぎりぎりの大飛球凡退の後、島田が右中間を抜く。2ベース。3塁コーチャー猿渡さんが手をぐるぐる回す。一塁から長駆、片岡がホームへ。
 しかし、中継ショート松井からキャッチャー中嶋へ好返球。あれっ、間一髪のタイミングかと思ったら片岡、3メートルぐらい手前だ、足遅え、これは暴走ーーー、余裕でホーム、タッチアウトーーーーーーー。

 その後、井出が三振して結局、完封負け。松坂の齢に似ぬガマンが勝ったというか、何とも野球感にあふれた試合であった。
 ちなみに本塁憤死の片岡選手会長だが、発売中の『週刊プレイボーイ』、金村義明の対談ページに登場。
 何と2年前、天下分け目の西武球場ダブルヘッダーに連敗した後、ライオンズ金村の家で行われた飲み会に顔を出し、西口、松井、大友らの前で悔し泣きしていたことが判明、何かこう凄い生き様だなと感じさせてくれる。
 金村の対談ページは以前、中日・立浪の回に片岡を「PL当時、無口で暗いやつだった」「先輩の洗濯やらされて、あ、こいつ逃げ出すなと思ったんで話しかけた」(立浪)、「あいつ、ひとりっ子やもんな」(金村)なんて注目記事が載る好連載。

 今日、「ファイターズ鎌ヶ谷の会」高橋氏、まつたけ氏とドーム内野席で打ち合わせ。会報『梨に向かって打て』での連載企画を快諾。
 これは鎌ヶ谷ファイターズ球場で配られる純然たるミニコミで、文鳥堂原宿店店長・中嶋勇二と、ファイターズファンの、バンド「キャンディーアイスラッガー」のヴォーカル・マイコさん(彼らはたまたまその場に居合わせた)の3人でリレー連載になる。ギャラは出ないが、年にいっぺん鎌ヶ谷の名産、梨を送ってもらうのが条件。マイコさんは「そんなおいしい仕事いいんですか」と興奮していた。




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