今までの


第一回戦

第一回戦のゲスト対談者は『子どもプラス』(雲母書房)編集者の平野勝敏さんです。


六回へ


七回表
 長いこと中断してたのにスピーディなレス、有難うございます。そうですか、平野さんにも言う気になれない、今、思い返してもハラワタが煮えくり返るライターの思い出がありますか。それ、俺じゃないと助かります。

会社の編集者と、フリーの編集者という風なことですが、僕は色んな雑誌で連載やってきたので、面白い経験をしてるんですよ。あの、まあ、ひとつの雑誌、『DIME』とか『週刊文春』なんかそうでしたが、ひとつの雑誌で何年にもわたる連載を続けていると、これが驚くほど人事異動ってやつに出くわすもんで、そのうち7代目の担当編集者とか、12代目とか、そういうことになってくるんですよ。

大概、そもそもの連載企画を思いついた人って初代ですから、そのうちに最初のイメージなんか全然持ってない人が担当さんになったりする。これ、困るなあと思ってたんです。困りますよねえ、作業のパートナーが部品みたいにどんどん入れ替わるのって。だけど、そのうちに2つ学んだんですよ。

第一はそういう出来事と関係なくお客さん(読者)へ届くものは一定の上がりにしなきゃいけない、そのやり方。どこ向いて仕事するかっていうと、絶対の正解はお客さんですから。担当さんが相当やりにくい人でもそんなことはお客さんに関係ない。

第二は、でもやっぱり担当さんの個性、趣味といった事柄に随分、影響を受けるってことです。その人がどんなことを面白がるか、どんな反応をするか。結局、最初の読者は担当さんだから、ライターは習性として、最初の読者にウケたいと思う。何とかしてコチョコチョと、スキを見てくすぐってみたいとこがある。

だから困るなあと思ってた人事異動ですけど、勉強になったことが多いんですよ。これは後にラジオでしゃべったりしたときも応用問題で、「全体の上がり、お客さんをイメージしながら、最初の聞き手(相方のアナウンサー)をコチョコチョしてみる」っていう風に自然にやってましたね。僕はライター修行は武芸百般じゃないですけど、色んなことに通じるという考えで、今も修行中っす。



えのきどいちろう



七回裏
 えのきどいちろうさま

長く連載が続いて、7代目の編集者、12代目の編集者とお仕事なさる。たいへんだなあ、えのきどさんも、編集者も、とすなおに感心しました。
連載企画のタイトルに変更がないとすれば、編集担当者が交代したからといって内容をガラリと変えるわけにはいかないでしょう。看板が変わらないのですから、その看板のもとにやって来るお客さんに、まったくこれまで扱っていなかった商品をいきなり売りつけることはできませんものね。

 でも、<全体の上がり、お客さんをイメージしながら最初の読者(編集者)をコチョコチョする>ってところで、取り上げる題材や切り口は微妙に変化していく。連載ページがマンネリになってしまうかどうかの一因は、どうもそのあたりにも隠されているかもしれません。どうなんだろう。

 「継続は力なり」ってよく言われます。
この言葉をなんとなく首肯する気持ちが僕にはあったのだけれど、少し前にある作家から「継続は力じゃないよ」とあっさり言われてしまい、「はてな?」とこのところ考えていたんです。
どうも腑に落ちない。「継続することに意味はないのか……やっぱり続けているからこそ結果が出るんじゃないのか?……石の上にも三年って言うしな……でも、しがみついてるだけっていうのも見苦しいもんな」とループに陥ってしまう。「ケンカ十番勝負」でえのきどさんが書かれた「おれはものすごく考えたあげく、考えること自体がめんどくさくなった」状態そのもの。

 ところが、今回いただいたメールの<人事異動と担当編集者>の話から、答のシッポのあたりが見えてきた気がしました。まだ、ホントのとこはわかっちゃいないけど。

 それにしても、<考えたあげく、考えること自体がめんどくさくなった>というあのフレーズはすごい。奥が深い。ウチでは大受け!
考えに考えを重ねるハメになることは少なからずあって、そのたびにウンウンうなってるんですが、今ではつれあいに「えのきどさんの“あげく”の状態だ」と言えば結論の出ない問題を抱えちゃってるんだとわかってもらえるようになりました。逆も可。といっても、抱えている問題の結論はすぐには出ないんですけどね。

 修業、おっしゃるとおりだなあ。
 
きのう、今年はじめてウグイスの鳴き声を聞きました。


平野勝敏



八回表へ続く


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