今までの
一回戦
| 第一回戦のゲスト対談者は『子どもプラス』(雲母書房)編集長 平野勝敏さんです。 |
| 何だかよくわかんない場へ引っぱり出してすいません。 いや、失礼なんだけど「平野さんは断んないだろう」という意味不明の直感があって、どういうんでしょう「平野さんが断ったらこの世は闇だ」と申しましょうか、「平野さんが断ったら平野さんじゃない」「嫌だ、そんな平野さん」「どうした平野、お前らしくないぞ」「平野なんだから平野らしくしろよ」ぐらいの気持ちで僕は第一回目のEメール対談に指名させていただきました。 平野さんは『子どもプラス』(雲母書房)という、非常にマジメな教育誌の編集長なわけで、まあ、僕は正直言ってあんまり自分が書いたとこしか読んでない、いい加減な読者なんですが、そうそう、一度、僕の原稿で「子供」と書いたのが「子ども」とゲラで直されてきましたね。結局、「そちらの表記は僕にはカンケイない。僕は僕の言葉で書いてるわけで、署名原稿なんだから好きにやらせてもらう」と無理を言って「子供」で通させてもらいましたけど、雑誌全体で「子ども」と表記していくココロは何ですか? ま、文字を解析すると「子」+「供」で、「供」はお供の供ですね。何か一段下に見たかんじが好ましくないのかなあ。まあ、そういっても「ども」も似たりよったりっすね。単に字ヅラをソフトにってことですか。 しかし、アレですね、「子供」、いや「子ども」でもいいけれど不思議な言葉ですね。「野郎ども」とか、「馬鹿ども」の「ども」と同じでしょ。 つまり言葉自体が既に複数形のカタチをしている。やっぱ少子化って最近の現象で、昔は子供っていうのはいっぱいいるもんだってのが言葉の上からも当たり前だったのかなあ。 「野郎ども、出撃だ!」 「馬鹿ども、いい加減にしねーか!」 何かこういうニュアンスを考えると「子ども」って文字ヅラからしていせいよく怒鳴ってるような言葉ですね。 せっかくなので宣伝にもなりますから雑誌のアウトラインと、あと平野さんの「子ども」観みたいなところを教えてください。いや、ホラ、平野さんなんだから。どもども。 えのきどいちろう |
| お、そうきましたか。いきなりたいへんなことになっちゃったなあ。「子ども」観か。 その前に、えのきどさん、僕は『子どもプラス』の編集部員だけど、編集長じゃないんですよ。編集部といっても僕一人だけですけどね。編集長は斎藤次郎さんです。念のため。 ついでに『子どもプラス』ことをパパッと紹介しちゃいますね。去年の6月に創刊した季刊誌です。「子ども応援マガジン」とうたっていまして、子どもの側に立って世の中をみていくというのが編集方針。教育に限らず、子どもを取り巻く状況をウォッチしてます。大きな書店なら店頭に並んでますし、版元の雲母書房(きららしょぼう)のホームページでも紹介してますから、どうぞご覧ください。 えのきどさんに3号から連載していただいている「ケンカ十番勝負」、好評です。ありがとうございます。とってもいいんだ、このお話。少年えのきどいちろうの日々が彷彿されますもんね。えのきどさんの新境地だなあと思ってます。これからが楽しみ。 さて。 「子供」と「子ども」の表記のことですけれど、おっしゃるように「供」も「ども」も似たりよったりです。じゃ、どっちでもいいじゃないかとなります。なりますが、「子ども」の方が活字になったときやわらかい感じだと思うので、僕はこれにしています。でも、<「子ども」って文字ヅラからしていせいよく怒鳴ってるような言葉ですね。>とのご指摘は、そう言われればそうだなあとも思うし。それぞれに理屈をつけようとすればつけられるだろうしなあ。説得材料を用意するのが、むずかしいですね。 で、子ども観。あらたまって考えたこともなかったし、朝ごはんの時に、あなたの納豆観は? あなたのみそ汁観は? と尋ねられたようなもので、うまく答えようがありませんというのが正直なところです。○○観は、と聞かれると、高尚な答を言わなきゃならないかな、と身構えちゃうじゃないですか。恋愛観とか人生観とかを「ひとことで言ってみ」と問われたときに、ウッとつまってしまう感じに似てるかもしれません。あえて言えば、子どもも、おとなも、老人も、若者も同じ世界に生きている、って思いが僕の基本ですかね。 ただ、旧来のいわゆる子ども観というワクがあるために、子どもがせまい範囲に固定されてしまう問題があるのではないでしょうか。子どもはこうあるべきだとか、子どもは従順で素直なのが当たり前、といったおとなに都合のよい考えが、子どもにとって息苦しい囲い込みを構成してはいないでしょうか。そうしたおとなの子ども観に対する子どもの側からの異議申立てが、たとえば学級崩壊として現れているように思えます。 子どもに目を向けるようになってから、僕は自分に人を見る目ができてきたかもしれないと感じてます。子どもへの接し方や思いがその人の試金石になるというか、リトマス試験紙というか、子どもに対する考えでその人の人間が見えてくるような気がするんです。 とはいうものの、自分の子どもがいる人といない人の子ども観ってのは、違うんじゃないかなあ。そこのところ、えのきどさん、どう思われますか? ちなみに、僕は結婚してるけど、子どもはいません。 はぁぁ、今回のご質問はきつかった。『子どもプラス』の編集者っていう看板を背負ってお答えしなきゃならなかったでしょ。そのプレッシャーで、ひいこらでした。 平野勝敏 |